信用してはいけない意見の一例 - 宗教編

世の中には信用してはいけない意見というものが存在します。日本においては、特に海外の宗教について論じた意見の中に荒唐無稽なものが多いようです。そして、そのような暴論の多くには共通する特徴があるのです。

それは、不適的な枠組みで宗教を論じていることです。例えば、ある宗教における異なる宗派群を大同小異として取り扱った上で批判するといった行為が挙げられるでしょう。

こういった意見が常に誤っているわけではありません。しかし、そういう前提に立った上で正しく論じるには細心の注意が必要となります。そのため、多くの論者が実態と乖離した不毛な意見を述べる結果に終わっています。それは、この電波受信記録における記事の一部も例外ではありません。

そこで宗教について論じる際の注意点と、適切な枠組みの区切り方について簡単な提言を述べておこうと思います。

大まか過ぎる枠組みで宗教を論じる意見

キリスト教を例に採ってみましょう。この場合、新教や旧教、その他の宗派間における違いを全く無視した上でキリスト教徒の行動や思想について論じている言説が多く見られます。同じようにイスラムを例に採ると、東南アジアにおける穏健で土着化したスンニ派と、極端に厳格で保守的なワッハーブ派*1を一緒くたにして論じるといったことが挙げられます。

酷いものになると、ユダヤ教から派生した全ての宗教*2を全く同じようなものとして扱う方々もいます。単なる暴論です。更に、そのユダヤ教について論じた言説の中には「ユダヤ教徒とは即ちシオニストである*3」といった間違いを信じて疑わないものが多く存在します。ちなみに、聖書の記述に誠実な保守派のユダヤ教徒は、人工的に建設された現代のイスラエルを否定することがあります*4

不適切な枠組みで論じた場合の不毛さ - オタクを例にして

但し、宗教にあまり関心がない方々には「同じ宗教であれば大同小異だろう」と思われるかもしれません。そこで上に挙げたような例がいかに荒唐無稽なものであるか、日本人に分かりやすい例で説明してみましょう。

一番良い例は「オタク」です。オタクが意味するものは普通、アニメやゲームといった趣味に熱中する人々のことでしょう。しかし、それ以外にも鉄道や釣り、歴史、芸能界、輸送機器、懸賞といった様々な分野においてオタクと呼ばれている方々が存在します。

ここで、もし釣りオタクの人がアニメ好きなオタクと一緒くたにされ、「オタクは自然と触れ合わないインドア派の連中だ」などと批判されたとしたらどうでしょうか*5。また同じアニメーションだからと言って、パペットアニメ*6に熱中する人とユーリ・ノルシュテインルネ・ラルーに傾倒する人、日本の萌えアニメ*7を愛好する人たちを大同小異と片付けられるでしょうか。

アニメに詳しくない方でもノルシュテインの名作『霧の中のハリネズミ』と『ポケットモンスター』のピカチュー、ディズニーのミッキーマウスを「同じ齧歯類をモデルにしているから大同小異」などとは言わないでしょう。断言できます。これらは同じネズミを主役に据えたアニメーションであっても、それぞれ個別に論じるべき対象です。これくらいの差であれば一般人でも感覚的に区別できるでしょう。

話は宗教に戻りますが

これは宗教においても同じです。異なる宗教が一定の枠組み内に収まり得るとしても、基本的に各々の宗派は個別に論じるべきなのです。但し、確かに宗教間の比較として対象を大まかに区切ることは許されるでしょう。それでも雑駁な枠組みでの宗教論は、細心の注意をもって論じる必要があるのです。

具体的に言いましょう。同じキリスト教でも旧教と新教は別な枠組みとして捉えるべきです。もちろん正教会聖公会*8といった他宗派との区別も付けなければなりません。また新教であっても少なくとも原理主義とその他を区別する必要があります。

同じイスラム教国であっても原理主義的な中東諸国と世俗主義が浸透しているトルコや東南アジア諸国*9を一緒くたに論じるべきではありません。同じ中東諸国であっても部族の内規がイスラム法に優先することがあるイエメン*10イスラム法を絶対とするサウジアラビアを大同小異と捉えるのには問題があります。

日本の宗教観を例にして考えてみる

最後に日本人にとって自己言及的な説明をしてみましょう。仏教です。

日本の仏教はチベットやタイの仏教とは異なります。チベット仏教に親和的な日本人であっても、さすがにダライ・ラマを教祖として信仰する人は少ないでしょう。タイ仏教に関心がある人でもプミポン国王を仏教の守護者として崇拝するということはまずないでしょう。そもそも生存している人物を絶対的な教祖として崇拝するという仕組みが日本の仏教のあり方とは異なります*11

ここで海外のキリスト教*12が「日本人は仏教徒だから神(超自然的な対象)への信仰を否定する」と主張したらどうでしょうか。確かに日本人は多くはイスラエルの神への信仰を否定するでしょう。また彼らとは「神」の概念が異なることも事実でしょう。しかし、日本人は神=超自然的な対象を信仰することがあります。仏教信仰と渾然一体とはなっていますが、日本中に神社があることがその証拠と言えます。そもそも日本仏教では、如来や菩薩、天神といった数多くの超自然的存在が信仰の対象となっています。

また、ついでに儒教についても考えてみましょう。孔子様は怪力乱神を論じなかったと言われています*13。怪力乱神とは超自然的な対象一般のことです。そこで同じくキリスト教*14が「儒教の影響が強い国では神を信仰しない」と主張したとしたらどうでしょうか。答えるまでもありませんね。これまで述べてきたように日本でも「怪力乱神」は信仰されていますし、同様に朝鮮半島でも独特な先祖霊崇拝があります*15

このように同じ宗教だからといって大まかな枠組みで論じると、実態から大きく乖離した不毛な意見となってしまいがちなのです。

*1:サウジアラビアの国教として採用されている復古主義的な宗派。

*2:即ち、イスラエルの神を信仰する宗教。

*3:論理的に言えば、その逆は真です(厳密に言えば、ユダヤ教徒でないシオニストもいるので誤り)。だからといって命題が真である証明にはなりません。

*4:「真のメシアがユダヤ教徒の前に現れた時、初めてダビデの国が再興される」という聖書の一節から。

*5:この批判自体が荒唐無稽かもしれませんが…。

*6:人形や粘土をコマ撮りして作成されたアニメーション。

*7:日本アニメも多種多様なので一応簡単な区切りを付けてみました。

*8:例えば、アメリカ聖公会は同性愛や妊娠中絶を許容し、女性が聖職者になることを認めています。

*9:但し、ブルネイの例もあるので、必ずしも世俗主義の国しかないというわけではありません。

*10:しかもイエメンは自由民主主義を採用する中東唯一の国家。

*11:日蓮宗系の新宗教である創価学会を除く。ただ、日蓮の教え自体が仏教を逸脱しているという捉え方もありますが。

*12:自分で「区別しろ」と言っておきながら、ここで大まかに語ると片手落ちですね。とりあえず新教系である再洗礼派の一つ、メノナイト派信徒ということにしておきましょう。彼らの絶対平和主義は憲法9条に似てますし(冗談)

*13:論語』の一節:子不語怪力亂神(参考

*14:ここでは単性論を採用する教会の一つ、コプト正教会の信者ということにしておきましょうか。

*15:そもそも韓国にはキリスト教徒が多いし、韓国発祥の統一教会キリスト教新宗教です。