最後のエントリ - 電波受信記録について

かつてこのブログは3人の人間によって運営されていました。このブログを始めた最初の人間は、当初こそ意欲的に記事を書いていましたが、すぐに放り出してこの場を友人に譲り渡してしまいました。

その友人とは、この文章を書いている人間、私自身です。しかし、私もまたすぐに行き詰ってしまいました。そこで、このブログを続けるために、ある知人の助けを借りることにしました。

私が言うのもなんですが、彼はとても聡明な人物でした。少なくても私はそう思っています。しかし、問題がありました。そう、彼は重度の精神疾患を患っていたのです。それは鬱病に似た症状を示していましたが、あらゆる医学的対処法を試しても改善の余地が見られないような原因不明の心の病でした。

また、彼はとても聡明でしたが、病気の影響なのか、理性的な文章のところどころに意味の分からないこと、まさに「電波」としか思えない妄言を書く癖がありました。おそらく幻聴のようなモノが彼にそれを書かせたのでしょう。そこで私は、彼の文章を校正する役割を引き受けました。


こうして電波受信記録は、約1年ほど続いたのです。

今思えば、彼の現実に対する冷たい観察眼と、それとは似ても似つかない想像力豊かな妄想の世界との間を、傍観者として行き来できたのは刺激的な体験でした。


しかし、去年の暮れごろにとても悲しいことが起きました。
彼が自殺したのです。


私は心の底から動揺し、しばらくの間、世の中の一切の動きに関心がなくなってしまいました。当然、ブログを更新する気などまったく起きなくなっていました。もちろん、自殺の原因について詳しく語る気はありません。恐らく彼が書いた最後のエントリに何らかのヒントが隠されているでしょう。

あのエントリに書かれている事柄が真実なのかどうか、私にも分かりません。ただ実感としては、大部分が彼の妄想に過ぎないような気がします。しかし、それが何でしょうか?彼は自分自身の思考能力を持て余し、圧倒され、追い込まれ、そして殺されました。妄想であれなんであれ、それは「現実」として彼を殺したのです。

彼が自ら命を絶った原因の一端を私が担ってしまったのかもしれません。彼の妄想は、文章化することでより強固になっていったからです。言葉にならないほど後悔しています。しかし、覆水盆に帰らず。彼は死んでしまいました。もはや後の祭りです。


心を病んでいたとはいえ、私は彼を人間として尊敬していましたし、今もその気持ちは変わりません。一方で、彼の頭脳がもう少し劣ってさえいれば、彼は心を病まず、若くして死ぬこともなかったと思うこともあります。しかし、そうであれば、私が彼に関心を持つこともなかったでしょう。

このブログに何度も書いてきたことですが、世の中は矛盾しており、物事には必ず皮肉的な結末が待ち受けています。それを甘んじて受け止める無謀で、無意味で、無価値な行為の連続こそ私たちの「人生」そのものです。高度な思考能力など、人間として生き続け、そして死ぬためには必要ありません。世界は、人間の思考能力を遥かに超越しているからです。


皆さんも「自分は世界を理解している」などとは思い込まないでください。

当然ながら私も含め、ほとんどの人間は無知で凡愚です。ほんの一握りの人間だけが「世界」の微細な一部分を理解できるかもしれません。しかし、彼らはその代償に人間として生き、そして死ぬ権利を生まれながら奪われているのです。その権利を彼らから奪っているのは、俗に言う「神さま」なのかもしれませんし、あるいは世界が内包する矛盾そのものなのかもしれません。

私は、それでも世界の矛盾を愛することを選びたいと思います。


ここまでお読みいただいたことを感謝します。
ありがとうございました。