その質問、意味ありますか?

ネット上ではしばしば、自分の悩みを公表して答えや助言を求めるという行為が行われている。もちろん、それが英語や数学といった学問*1に関する質問であれば、ある程度明確で意味のある回答が得られるだろう。

しかし、それが人生の悩みや政治的な問題となると事態は異なる。特に、人生の悩みについては全く無意味といっても良い回答しか返ってこないだろう。

人生の悩みというのは、同じ悩みを経験し、出来ればその悩みを克服した人でなければ意味のある回答を返すことができない。例えば、事故で片腕を失ったことを悔やむ人が健全健康な人々に悩みを打ち明けたところで、健全健康な人々が意味のある回答を返せるハズがない。せいぜい似たような境遇にも関わらず明るく前向きに生きている人を紹介するくらいが関の山だ。

また、日本国におけるネット利用者の殆どが20代を中心とした若年層*2ということも悩み相談の不毛さを助長する。若いウチは経験が浅いために考え方が狭い傾向があるからだ。

当然、年老いれば脳の活性が落ちるために考え方が偏狭に陥ることもあるが、年寄りの頑固さの特徴は「最善を求めず最悪を避ける」という傾向がある。故に、年長者の意見は常に一理あると考えて良い。つまり、面白くないが間違いではない。ハズレもアタリもないということだ。空気のようなものである。

一方で、若者の視野狭窄な思考の特徴は、「最善を求めて最悪を考慮しない」ことにある。まだ人生の可能性を多く秘めているからこそ、その可能性を過信することによって失敗や好ましくない事態を許容できない。そして、その不寛容さを他人にも押し付けてしまう。だから、悩める質問者の存在自体を悪しき者と決め付けてしまう。必然的にその回答は、実現すれば望ましいが、実現は困難で実践的ではない意見が多くなる。更には、事態をより悪化させるものも少なくないだろう。

そして、悪しき者と決め付けられた質問者に待っているのは、容赦のない非難と向上への強制だけだ。身動きが出来なくなるほど悩んだあげくに打ち明けたハズが、その身動きできない状態自体が否定され、無意味な意見によって事態は尚更解決困難に陥るという悪循環となる。

要するに、ネットで不特定多数の匿名の人々に人生相談をするのは、百害あって一利なしということである。どうしても相談したいのなら、その悩みを克服した者か、あるいは自分を大切に思っている者、誰もいなければカウンセリングの専門家に頼むべきだ。

同時に、最も最適な相談相手は自分自身であることも忘れてはいけない。

*1:しかも学生水準であれば尚更都合が良い

*2:読売新聞の調査による。