話が通じない人

「あなたの話が通じない」という事態は、哲学的あるいは論理学的な問題以前に、話し相手が単純な功利計算に基づく「ある行動」を採っているために引き起こされている。そう考えても良い。というか、大抵の場合はそうだろう。

「ある行動」とは次のことを指す。人は、その話を理解することによって何らかの損害が生じると予感した場合、その損害を避けるため、その理解を拒否する。

例えば、子ども達に何かを教えようとする場合を考える。子ども達は、「それ」をある程度理解しているにも関わらず、しばしば「わからない」という反応を返す。これは、「わかった」という反応を返すことで、「それ」に対する完全な理解を得る機会を失う危険性を回避しているためである。子どもの場合は、無意識にこのような行動を用いることで、世界の物事についてのより深い理解を得る機会(可能性)を広げている。

例えば、上司に間違いを指摘する場合を考える。上司は、その指摘が妥当なものであり、自らが過ちを犯していると理解していても、しばしば「それは正しくない」という反応を返す。確かにその指摘を「妥当なもの」と認めてしまうと、その部分に関し、自分(=上司)は部下より「劣っていた」という事実を認めざる得ない。すると、次のような懸念が自然と頭をもたげてくる。即ち、部下が自分に劣った部分があると知った途端、自分を軽んじ始め、やがて自分の指示に従わなくなるのではないかという不安だ。

このような危険性を避けるため、上司はしばしば「話が通じない人」という仮面を被る。これは、本人にとってみれば極めて合理的な選択である。本人(だけ)は、この行動が自分の利益を最大化する方策だと信じているのだ。

さて、「話が通じない人」に話を通じさせるにはどうしたら良いか。単純な話だ。まずは、あなたの話を理解することが相手の利益に適うことなのだと粘り強く説得すれば良い。説得がうまく行きさえすれば、利に聡い人であればあるほど、あなたの話に耳を傾けてくれることだろう。北風よりは太陽である。

ちなみに資本主義社会では、特に経済的な利益に絡めると相手を説得しやすい傾向がある。自明の理であるが。