オタク文化が性欲の具象化に過ぎないって?


某記事の影響で反オタク派にされてしまった感も無きにしもあらずな kilemall でした。

非オタクから語られるオタク文化論が常に「性欲」との兼ね合いで語られがちだが、実は、そこら辺がオタクと非オタクの軋轢の根本原因なのかもしれない…と実体験で思った。

オタク文化というのは、一言で語るには余りにも複線的で多重構造で、要するにメチャクチャだ。だから、実際のオタクな人ですら「で、オタクって何よ?」と聞かれても俺流オタク論を述べることしかできない。

ましてや非オタクが語ることが出来るオタク論なんていうのは、ハッキリ言って非オタクの日常の関心事に絡めた「低俗」な認識の告白に過ぎないと考えられない?
要するに、非オタクにはオタク文化の性的な記号が目に付くってだけ。

これは仮説だけど、オタクの人達は多分性欲を一つのネタとして戯れているだけなんじゃないだろうか。
非オタクにはオタク文化の全てが「オタクの満たされない性欲の代替策」みたいに見えるから嫌悪感を覚えるワケだけど、実際には性的な記号というのはオタク文化における主要な「趣」の一つに過ぎないのではないのかな…。

実際、海外のマンガオタク達に接していると、その思いが強くなる。彼らの殆どは普通に彼氏・彼女がいる(または既に結婚している)日本語で言えば「一般人」なんであって、彼らが性的に満たされない想いをオタク文化で解消しているとは到底思えない。大体、最近の若年層のオタクは外見から行動に至るまで殆ど「一般人」と変わらないらしいし、そもそも「一般人」の文化だって恋愛(性欲の同義語)を筆頭にバカみたいに分かりやすいモノの方がウケるよねー。

そう、実際には「オタクは変態」なのではなく、「オタクを眺める部外者が相当変態」という見方も出来るとか言ったら面白いですか。

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