『「非モテ系」という逆説』の補足
以下、『「非モテ系」という逆説』に関する補足や誤解されていると思われる点などを列挙する。
非モテは結婚できるのか
これは二つの回答が考えられる。
第一に、非モテを恒久的属性*1と捉えた場合、非モテは結婚できない。何故なら、この場合、非モテとは生まれてから死ぬまで一生女性と縁がない人物を指すからだ。つまり、結婚したら定義矛盾になるため、「実は最初から非モテではなかったのだ」と認識されることになる。
一方、非モテを一時的属性*2と捉えた場合、非モテは結婚できる可能性がある。何故なら、この場合、非モテとは現在「非モテである(=女性と縁がない)」状態を表す単語に過ぎないからである。つまり、生まれてから28歳まで女性と縁が無かったB氏の場合、28歳の誕生日までは非モテと言えるが、それ以降は非モテとは呼べない。
kilemall が用いた非モテの属性は、明らかに後者のモノである。この二つの捉え方を混同して議論すると、お互いが別の話をしていることになるので注意を要する。
また、この場合の非モテが結婚できるかどうかは、
究極的には「運」が全て。断定は出来ない。
という一節が最も誠実な回答だと思われる。
「非モテは素晴らしい」と(美化して)主張しているのか
非モテを美化しているというよりは、非モテの肯定的側面を見出す試みであった。
この考え方に納得できないのならば、それは個人の選択であって
実際、この一節にもあるように、今回の記事は「価値感は個人的なモノ」という考え方を強く反映させた内容である。試しに、以下の2つの考え方のどちらが「非モテ」な人々にとって生産的な現実認識か考えてみるのも良い。
そもそも、心を病んでいたり*3、余裕のない人物に好意を持つ他者は少ないと考えられるが…。
非モテを否定しているか
否定しているどころか、存在を前提として書かれているので全肯定である。非モテに関する価値感に関しても肯定的である。「非モテの否定的側面」を否定しているかと問われれば、kilemall はあくまで「非モテの肯定的側面」を記述したに過ぎないので、否定的側面を否定しているとも言えない。
モテを否定しているか
なお、「趣味は恋愛」な人々を否定するつもりは毛頭ない。
この一節にある通り、モテの否定的側面*4を指摘してはいるが、それは対比によって非モテの肯定的側面を炙り出すためであり、モテの存在そのものに対する否定ではない。
サンプルが恣意的ではないのか
サンプルが恣意的であるという点は、「この考察の問題点」という見出し以下の「適度な恋愛経験がある人物を考慮していない」という欄において、kilemall 自らが指摘している*5。
サンプルがより適当であれば別の結果になると思われる方は、是非自分のブログ内で考察を示して欲しい*6。適切な反論であれば、自分の視野が広がるので kilemall は素直に嬉しいし、それが自分の意見を公表する理由でもある。
特に同性愛者において「非モテ」が成立するのかどうかは興味深い(と思う)。本人が興味のない異性に好意を持たれ、関心のある同性に好意を持たれない場合、それは「非モテ」なのだろうか。
「モテ」は付き合った相手の人数では定義できないか
モテと非モテを明確に定量的あるいは条件的に何であるかを示さなければ、何も語ることが出来ない点を考慮して欲しい。
例えば、モテとは「何となく良い感じで異性にモテるあの雰囲気だ」とした場合、それは「質」を言い表している。「質」とは、言い換えると「知ってる人は知っていること(主観的基準)」である。しかし、少なくても私達がある程度話し合いを進めるためには、「知らない人でも理解できる(客観的)」基準が必要となる。即ち、その「質」から発生する「量」や「状態」の記述が不可欠だ。
「何となく良い感じで異性にモテるあの雰囲気だ」という考え方は別に構わない。では、その「雰囲気」を持っている人は、具体的にどんな人なのか。つまり、その「雰囲気」を持っている人を観察するとどのような条件を満たすと言えるのか。
そういった事柄は、必ず記述できるハズだ。というのは、ある「質」が存在していることが何の「量」や「状態」の発生と結び付いてないとすれば、その「質」は存在しないことと等しいからだ。
例えば、ある人物が「私は超宇宙コズミックパワーαを持っている」と主張したとする。しかし観察の結果、その人物が他の人々と何ら変わらないようであれば(頭がイカれていることは確かだが)、その「超宇宙コズミックパワーα」という「質」は存在しないことになる*7。
逆に、「超宇宙コズミックパワーα」を保有している人物は「〜と条件を満たす」と仮定し、その仮定に見事当てはまる人物がいれば「超宇宙コズミックパワーα」は存在していることになる。
これは一見奇妙だが、例えば「NEET」という「(人間の)質」を想定し、その「質」の条件を仮定して実社会を観察したときのみ、NEET が存在し得るということと同様だ。NEETの定義が作成される以前の社会には、NEETは(現在形で)存在しなかったのである*8。
今回の記事では、kilemall は「モテ」という「質」を観察すると「付き合った異性の人数」という「量」や「結婚している」という「状態」が発生する(条件を満たす)という考え方を採用した。もし、これらの定義が適当でないとすれば、より適当な「モテ」の客観的基準を示して欲しい。「モテは豆腐が好き」だとか「非モテは一升瓶の蓋を多く持っている」といった基準が適用できるとすれば、個人的にも非常に興味深い。