放任された競争は劇薬

一部の難病には、一般的な病気には絶対に使われない毒薬のような物質が治療薬として使われる。当然ながら、ある程度健康が回復してきたらそういった劇薬の服用は中止し、効果が穏やかな一般的な薬品を用いて養生するのが医療業界の常識である。
例えば、リチウムという空気中で非常に激しく酸化する金属は、一見すると薬品には見えないかもしれないが、これの炭酸塩である炭酸リチウムは抗(躁)鬱剤として処方されることがある。炭酸リチウムは、有効性の高い精神安定薬だが、同時に副作用も大きい*1。近年の精神科業界では、余程病状が悪化していない限りは使わないという医者も多い。
どちらにしろ、炭酸リチウムを長期間使い続ける医者は殆どいない(ハズだけど)。このように、劇薬はある程度の副作用を覚悟した上で、適切な時期に処方を中止させる必要がある。

また、一般的に精神薬は効果が出るまで一定期間を必要とする。そのため、効果がないのにも関わらず、副作用だけが現れるという苦しい時期を乗り越えなければならない。拙速に効果を出そうと処方以上の量を服用したり、逆に効果が出ないのが辛いからと服用をやめてしまったりすると病状はより悪化する危険性がある。

さて、ここで経済的な視点で競争社会を劇薬を捉えてみよう。即ち、自由度が高い=放任された競争というのは、社会にとって炭酸リチウムのような劇薬に近いということだ。
確かにその治療効果は高い。だから、社会的な「難病」に対して良い成果をもたらすことだろう。同時に、この劇薬を一度処方してしまったら、それ以降は次のような点に常に留意する必要があるし、もしそうしなかった場合、病状は更に悪化する可能性が非常に高い。

  • 効果が出始めるまでには一定期間が必要である点
  • 処方中には定期的な健康測定をしなければならない点
  • 「いつ処方をやめるのか」という期限を決めなければならない点
  • 必要十分な処方量を守って服用しなけれなならない点

競争社会そのものは、善でも悪でもない。それは、より良い社会の状態を目指すための手段に過ぎず、それ自体を目標とすることは想定外の副作用の方が大きいことを常に意識することだ。とはいえ、日本国において「競争」という劇薬は既に処方されてしまっている。日本国という患者に対する最大の要点は、処方すること自体ではなく、いかに処方後の健康状態を管理し、いつ処方を中止するのかを考えることだ。

ただ処方しただけでは単なる薬漬けであり、何もしないより事態は確実に悪化する。特に外国語が苦手な日本国民は外国に逃げようがないんだから*2、薬漬けを繰り返して発狂死したアルゼンチンの二の舞だけは避けた方が良いだろう*3

*1:血中のリチウム濃度を定期的に測定しなければならないという面倒な点もある。

*2:kilemall は英語圏ならどこでも移住できるけど。

*3:アルゼンチン国民ならスペイン語圏に逃げることも出来るが、日本人はどうする?。