産んでしまってごめんね

キリスト教的なジョークが理解できる人向けの内容です)
生まれて最初の根源的な不公平…それは、この世に生まれることを赤子自身が選択できないことにある。産まれるのは、常に親の利己的な意思であり、赤子は常にその被害者である。

親は、自分の利己的な目的でこの薄汚い暗黒世界に己の分身を投げ落としてしまったことに本能的に罪の意識を感じる。故に、その感情は防衛機制(反動形成)によって「産んでくれた親に感謝しろ」と子に命じる態度に転じる。似たような仕組みで、他人の子どもに対しても同じような命令をすることがある。

どの社会においても親が子を育てる*1のは、そうしなければ子が育たないからというよりも、この世界に生命を持たせてしまった罪の代償として己の肉体を子に捧げることなのだ。

子を産むことが根本的に罪であることを自覚させない社会は、皮肉にも、その罪の代償を払うことができない不出来な親が存在し続ける結果に繋がるだろう。

Babywiege とは、その罪を(代名詞として)天国の主が肩代わりする社会制度*2だが、そういった種のオカルトを信用しない日本人は罪の代償を誰に肩代わりさせ得るだろうか。

*1:親が自分の子を育てなければならないという倫理は、どの社会にも存在する。

*2:こういうのを「聖霊の御業」と表現するのだろうか。