オタク革命2007


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オタクを煽った記事*1を書いて以降、個人的な興味関心で社会研究(social studies*2)の一環として他人が書いたオタク批評の文章をしばしば漁っている。

上記のリンク(オタにつける薬)は、所謂、脱オタク指南サイトと言っても良いものだ。面白いもので、オタクの皆さんはオタクであることを誇り、それが自分らしさの源泉だと思っている一方、オタクであることを恥じ、出来れば外見(コミュニケーションを含む)だけでも「一般人」に近付きたいと思うものらしい。

既に消してしまった記事だが、kilemall は以前、脱オタク指南サイトの変種である「汎用適応技術研究」*3を「いかにもオタクらしくて気持ち悪い」と批判した。このシロクマ氏によるオタク研究のサイトは、オタクを「少数派(Minority)」と捉える。つまり、オタクとは社会的に劣勢な「人種」であり、「民族」であり、「宗教」であると規定する。

シロクマ氏やその他の脱オタク指南サイトの著者達の面白いところは、彼らもまたオタクという少数派に属しているという点だ。特にシロクマ氏は、オタクという少数派が持つ特有の問題点について深い考察をしている。そして、考察すればするほど、オタクという集団が持つ負の特性が何か抗い難いもの、運命的なものに思えてくる。故に、その状態を脱するためには「奇蹟」を待つ必要があるという結論に達せざるを得ない。

「奇蹟」はどこからやって来るのだろうか。脱オタク指南サイトの著者たち、「模範的少数派(Model minority)」は何故社会的に一定の成功を得られたのだろうか。勿論、彼らは答えられない。それに答えられるのは、オタクの外側に存在する人々だけだ。ちょうど、日系人アメリカにおいて成功した理由を答えられるのは、多数派(ゲルマン系白人)の研究者だけであるように。

しかし、オタクたちがしばしば言及する概念、「一般人」なる存在は彼らの実存について深い考察をしようなどとは思わないだろう。多民族多宗教を宿命付けられたアメリカやイギリス、ドイツといった国々は、それ故に少数派について考えざるを得ないが*4、戦前の青臭い多文化主義を捨て去った「大和民族」にとって、異質な存在は過保護か放置の二択しかない。そして、新興の集団であるオタクたちは、当然の話、放置を選択される。だから、オタクの外側にいる人々にとって、オタクは考察や思慮の対象にはなり得ない。その結果、「キモい」の一言で切って捨てられる。無残だが、オタクたちが内側でお互いを品評し合っている間は、彼らが「一般人」という概念に辿り着くことは出来ないだろう。

大抵の場合、オタク指南サイトの著者たちは彼ら自身が社会に適応していると誤解している。だが、指南者たちは適応し切っているワケではない。何故なら、彼らはオタクという自らの属性を捨てることが出来ないからだ。ユダヤ系(宗教的少数派)や日系人(民族的少数派)は幾ら頑張ってもアメリカにおける多数派にはなれないのに似ている。彼らが出来る精一杯のことは、せめて社会の多数派の目障りにならないことくらいだ。そう、アメリカ社会におけるユダヤ系の多くが自分の出自をアイルランド人と詐称しているし*5、その多くがニューヨーク市やその他の大都市の一画に固まって生活しているように、だ。

さて、そこで「オタにつける薬」の管理人、Accel氏の姿勢が目新しく映る。この優しげな文章を書く人物は、あえて少数派であることを意識するようにオタクたちに呼びかける。

オシャレが好きな人から見れば、オタクはどうあがいても「ちょっと変わった人」に見られるでしょう。
中身が「変わった人」なら外見も「ちょっと変わってる」くらいでちょうど良いんです。
むしろ「変わった人」なのに「オシャレ大好き」な格好したら偽装表示問題じゃないですか。
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オタクという少数派の宗教を選択した時点で、その信者たちは劣勢に置かれることが決定付けられている。多くの脱オタ指南サイト、そして優れたオタク研究家であるシロクマ氏が言及すること、これは事実だ。また、入信後に脱会したとしても、信者であった頃の経歴は一生付いてまわるだろう。Accel氏が言うように、「キモオタ」であることに遺伝子は関係ない*6。オタクという在り方は、民族的*7というよりも宗教的な少数派であり、それは確かに個人の選択によって決定されることだからだ*8。その選択に責任を取るならば、少数派であることを意識しながら、それでも社会の目障りにならないようにすることしかないだろう。「適応する」というより、うまく「寄生する」のだ。


ところで、少数派は弱者なのか。それは違う。アメリカ社会は弱者であるハズの社会的少数派の影響が非常に大きい。例えば、どんな戦争だろうとユダヤ系有力者の協力なしに事は進まないし、アメリカの原動力である科学力の大部分がユダヤ系やインド系、その他アジア系の人々によってもたらされている。そして、労働力の多くがラテン系やアフリカ系の人々に担わされている。

ユダヤ系にしろ、日系にしろ、インド系にしろ、彼らは社会の主役には決してなり得ない。しかし、彼らは無力なのではなく、水滴が絨毯に染み込むように、ゆっくりとしかし確実に社会の中核へと浸透する道が残されている。「不愉快で不要」と思われても撤去されなければ良いワケではない。そのままではいずれ潰される。だから、「不愉快」と思われながらも、どうしても社会に必要とされる存在になる道を模索するべきなのだ。その信仰を自ら選んだのならば尚更だ。

ここから、オタクが学べることは何だろう。オタクは、このまま社会的な弱者として抑圧されたままでいることも出来る。同時に、深く静かに社会の中枢に侵入し、内側から多数派を支配する選択肢も残されているのだ。

「オタク革命2007」の引き金は、まさにオタクである皆さんの手の内にある。深く静かに、その撃鉄を起こすのだ。

*1:アキバ系は不愉快だし不要です。 - 電波受信記録

*2:英単語をカタカナで書いておくと「現代思想に精通した頭の良い人だと思われるかもしれない」なぁ…と期待するのは典型的な似非インテリ文系大学生の特徴だが、その戦略って常に失敗してると思われ。むしろ訳せ。

*3:シロクマ - http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/

*4:そして、その労力はしばしば滑稽さを伴っている。

*5:一説によるとアイルランド系と主張する家庭の殆どが自分の出自を偽装しているという。

*6:Accel - http://www.drugs4otaku.net/spiral.html

*7:稀に「オタク族」とか「秋葉族」と言われるとしても。

*8:それが「一般人でないこと」を無意識に選んでしまったという結果に過ぎないとしても。