戦争が悪になる条件

「戦争は悪である」という考え方は、ハト派は勿論、タカ派にも共通した認識であるようだ。但し、前者は「悪であるから避けるべき」と考え、後者は「悪ではあるが避けられない」と考える。

戦争は悪だろうか。確かに戦争では多くの物理的な損害が発生する。例えば、戦争では少なからぬ人々の命が犠牲になる。しかし、人々が死ぬのは悪いことだろうか。あなたが避けるべきは他人の死ではなく、自分の死だけのはずだ。だから、もし他人の命を犠牲にして自分の命が助かるならば、むしろ戦争は善となり得る。

あなたの利益になるのなら、戦争は純粋に合理的な手段である。つまり、功利的な条件が満たされた場合、戦争は全く善である。あなたが避けるべきなのは、あなたの利益にならない戦争だけなのだ。

イラク国内でどれだけのアメリカ軍兵士とイラク人が傷付き、命を落とそうが、それがあなたに何か被害をもたらすのか。北朝鮮で小さな子ども達がどれだけ長い間飢えに苦しもうが、あなたが空腹に悩まされることはない。

平和というのは手段である。自分だけが幸福になるための手段である。平和を追求して自分が不幸になるのならば、それはもう平和ではない。平和は目的ではない。平和な世界は善ではない。あなたが幸せな世界だけが善である。

だから、何かの戦争があなたを少しでも幸福にする手助けができるなら、その戦争はまぎれもなく善である。「戦争は悪である」と盲目的に信仰し続けるだけならば、たとえ世界に平和が訪れても、あなたの平和はいつまでもやって来ない。


但し、あなたが自分の利益のために一人の命も犠牲にしたくないと本心から願うならば、その瞬間から全ての戦争は純粋な悪になる。他者の死と、あなたにとっての不利益とが直結するからだ。

このように、戦争を悪とするかどうかは言葉通り、あなた自身の選択なのである。