敵を皆殺しにする話

何故、私たちは敵を皆殺しにしないのか。

私たちに共通の敵がいることで、私たちは私たち同士の争いを避けることが出来る。あるいは、意見の相違があったとしても殺し合わないという信頼感の下で毎日を生きることが出来る。安心して生きることが出来る。
敵を皆殺しにすれば、私たちは次に私たち(=敵ではないもの)の中に敵を作らざるを得ない。何故なら、私たちが安心して毎日を過ごすためには敵が必要だからだ。

敵を作り、作った敵を皆殺しにしていく。そうすると、結局、私たちの中から最後に残った2人がお互いを敵視し、どちらか一方がもう片方を殺した時点で真の平和が訪れる。しかし、人間は一人では生きていけない。そして私たちは全滅する。

私たちが仲間同士を互いに信頼し、毎日を安心して生きていくためには、どうしても敵が必要なのだ。だが、敵は皆殺しにするべき対象である一方で、皆殺しにしてはならない存在でもある。それが私たちの利益を守ることに繋がるからだ。

だから、私たちは敵を皆殺しにしない。ときに共存してやろうという気持ちにもなる。だから、世界の国々がお互いに共存しようと思うなら、国同士がいつでも相手国を皆殺しにしようとする心意気が不可欠なのである。

相手を心の底から憎む気持ち。それこそが真の平和の礎になる。さぁ、敵国を罵倒しろ。