漢字使用をやめれば古語が復活するか

戦前の国語国字問題の熱狂からすれば、現代の日本人が何の抵抗もなく漢字を使っていることに違和感を覚えなくもない。現在、恐らく殆どの日本国民が子ども達に漢字教育を施すことに何の抵抗感もないだろう。

ところで、現在日本語では数多くの漢語が存在する。漢語とは、どちらも音読みする二つ以上の漢字組み合わせのことだ。一方で、こういった漢語の多くが明治時代に「偽造」されたものである。確かに「偽造」というと語感が強い過ぎるきらいもある。要するに、欧米から輸入した概念*1を強引に日本語で言い表そうとした教養人たちの苦肉の策なのである。

江戸時代までに日本列島に住む人々が話していた「日本語」には、今よりも断然多くの大和言葉由来の表現が含まれていた。だが、欧米由来の偽造日本語は、複雑な概念を言い表すのに適しており、また語義が明確なために大変便利だった。そのため、多くの日本人は豊穣なる大和言葉の世界を捨て、欧米由来の言語空間(欧文脈)の世界に突入したのだ。

但し、ここで一つ忘れてはいけないことがある。欧米由来の概念を言い表す際に用いられたのは、もっぱら漢字だったという点だ。つまり、欧米の文化が到来したことで、初めて日本人は中国由来の文字を自国の言葉を表記するためではなく、「漢字」のまま使うことを始めた、と言っても過言ではない。

もちろん、これをある種の「文化の衰退」と捉えることもできるだろう。その証拠に現代日本人は、過去に日本列島に住んでいた人々の言語である大和言葉を外国語同然に扱っている*2。では、何とかしてその文化を復興することはできないだろうか。

その方法は実に単純だ。漢字の使用をやめれば良いのである。漢字の使用をやめれば、漢字の音読みによって表現される多くの言葉が判別不可能になってしまう*3。故に、その読み方で最も良く使われるような意味だけが残存することになり、その他の意味は異なる言葉で当てる必要性が生じる。そのときこそ、多くの古語が新しい解釈を与えられ、現在日本語に復活する瞬間のはずだ。

突然だが、ここで「アーヴ語」と言われる架空の言語がその証左になると言える。アーヴ語とは、あるSF作品に登場する異星人の言語だ。その物語の作者*4によれば、この異星人の言語は日本語から漢語由来の表現を全て抜き去ったものが基本となっているという。もっとも、その音韻体系は大幅に改変されているため、少し聞いただけではそれが日本語由来であると到底信じられない代物ではある*5

アーヴ語における数多くの単語の由来は大和言葉(古語)だ。何故なら、完全に漢語由来の表現を抜き差ってしまえば、多くの概念を大和言葉によって代替せざるを得ないからだ*6。そして、アーヴ語大和言葉由来の表現だけを用いて数多くの欧米由来の概念を言い表すことに成功している。

とはいえ、漢字の完全使用中止への道筋は容易なものではないだろう。一例として朝鮮語の例が挙げられる。韓国や北朝鮮では原則的に漢字の使用を中止した。今のところ、漢字がなくとも意思の疎通は可能らしい。しかし、最近では漢字がないことによる不便が次第に理解されるようになったため、漢字の復権を待ち望む声も多いと聞く。但し、朝鮮半島の言語は日本語と比べると圧倒的に中国語の影響が強く、そもそも漢字なしには成立しない言語であるという見方も否定できない。つまり、「大和言葉」のように中国語との断絶があまり深くはないために漢字なしの言語空間がうまくいかないのだろう。

また、漢字を使わない場合、国字(表音文字)をどうするのかという問題も残っている。仮名とカタカナを使うという手が最も妥当だが、仮名は分かち書きに向いていない。漢字を使わない限りは分かち書きにせざるをえないことを鑑みると、別な文字を使う道も考えられる。その際にラテン文字キリル文字を用いてしまっては元の木阿弥である*7。このゆえ、戦前の国語国字運動は燃え上がったのだ。

どちらにしろ、現代日本において漢字教育が捨てられる可能性は限りなくゼロに等しいだろう。近年では欧米由来の言葉が表意文字(漢語)ではなく、表音文字(カタカナ)によって書き表される傾向がかなり強くなっている。大和言葉を残す以前に日本語自体が全く別なものに変わってしまう日も遠くはないだろう。

ただ それは まことに やまとの ことばらしい ことだ が。

*1:「概念」も欧米からの輸入語だ。

*2:但し、東北地方を主とする方言には数多くの大和言葉が残存している。その多くは過去に近畿地方から伝わった本来の日本語である。

*3:例:しょうかい - 紹介, 詳解, 照会, 商会, 哨戒 - このように同じ読みで異なる語義を持つ漢語は多い。

*4:森岡浩之

*5:とはいえ、kilemall は原作を元にした映像作品を見たことがないので、実際は聞いたことはない。実は原作も読んでいないのだが。今回はWikipedia 教団が珍しく良い仕事をしてくれたのに感謝している。

*6:例えば、「軍人」を意味するアーヴ語(bausnall)は大和言葉の「ますらを(強い男性)」に由来するという。

*7:但し、欧米の文字を元とした新造国字「ひので字」は、他に作られた国字の中でもとりわけ美しい。