何故、無政府主義は必ず失敗するのか

答え:国家的なモノの出現を止められないから

まず、ここに無政府主義が実現した社会(便宜的に「クニ」と呼ぶ)があるとする。その中では暴力や略奪を防ぐために、主に資本家が中心となって私兵(警備会社)を雇うことになる。私兵を雇うことが出来ない弱者は、自らを私兵として雇ってもらうか、資本家と別の対価(労働契約)を支払うことで資本家の私兵に守ってもらうしかない。こうして、資本家を中心としてある程度の弱者が庇護下にある集団が形成される。

資本家は弱者たちを労働力として事業を営む。しかし、資本家だけならともかく、数多くの弱者たちを保護するための私兵を維持するのは容易ではない。そこで弱者たちが生み出す利潤から一定の金額を差し引き、私兵を養うための費用に当てる。このような制度下にある集団を「ムラ」と呼ぼう。

ちなみに、この時点で既に弱者にとって私有財産権や経済的自由は制限されてしまう。何故なら、弱者の私有財産の権利を保護しているのは資本家たちに他ならず、少なくとも安全を保障してもらっている間は庇護者の意向に従わざるを得ないからだ。つまり、庇護者が擬似的な「生ける法律(=国家)」と化す。

さて、「クニ」の各地域には自然と数多くの「ムラ」が発生するはずだ。この「ムラ」同士が地理的に隔絶していれば問題ないが、多くの場合、「ムラ」群は隣接してしまうだろう。このムラ同士の境界線が問題となる。即ち、一方の「ムラ」の住人は、自分たちとは別の「ムラ」に住む人々に対して暴力や略奪を行う可能性がある。

隣り「ムラ」の住人から暴力を受けた住人たちは、自分たちを保護する資本家に陳情し、境界線上に私兵を派遣してもらおうとするだろう。また、自分が庇護する領域に侵入された資本家は、侵入者に適切に対応できなければ労働者たちから信用を失ってしまう。多くの労働者が「ムラ」から離脱すれば、労働力の減少にも繋がるし、肥大化した私兵集団を維持できない。私兵を維持できなくなれば、逆に彼らから略奪を受けることもあるだろう。

そこで、資本家は私兵を投じて「ムラ」への侵入者たちを排除する。平たく言えば、殺す。しかし、侵入者側が属する「ムラ」の資本家にとっては、自らの「ムラ」の住人に危害を加えられたこととなる。そこで侵入者側の資本家も庇護する労働者たちの信用を回復するため、制裁として隣り「ムラ」の住人を殺す。

このような事態が繰り返され、常態化することによって「戦争」が発生する。戦争は必ず勝敗が着く。すると、負けた側の資本家は労働者から信用を失い、一部の住人を失う。同時に勝った側の資本家は倒した資本家の領域や住民を吸収する。こうした戦争が繰り返されることにより、最終的な勝利者は「クニ」全体を庇護=支配する構造が生み出される。

最終的な勝利者は「クニ」の支配者となる。彼らは「クニ」の全領域に住む人々から、少なくとも私兵を維持する費用を徴収しなければならない。これはまさに租税に他ならない。このように、ある特定の集団(戦争を勝ち抜いた資本家)が一つの領域を支配するということは、国家が成立することに等しい。こうして無政府主義が瓦解する(正確には、最終的な勝利が確定する前に崩壊しているはずだが)。

つまり、無政府主義は全く机上の空論に過ぎない。何故なら、「無政府」であるからこそ、その領域に新たな国家(に代わる勢力)が成立することを防げないためである。

余談:限りなく無政府主義に近い国家=夜警国家

だからこそ、過去の自由主義論者たちは夜警国家を論じたのである。夜警国家ならば、国家は最小限度の暴力だけは制御できるため、新たな国家が成立することによって経済活動が阻害されないようにすることが可能となる。もっとも、完全に自由な経済環境においては、極端な経済格差が生まれてしまう。そうなると、資本家を狙ったテロリズムや革命活動などが活発化し、最小限度の暴力だけでは国を維持できなくなる。