中道政治と現実主義

政治において何らかの理想を求めるからこそ、種々雑多なイデオロギーが存在する。それ故、政治における現実主義は、しばしば特定のイデオロギーに依拠しない中道派*1と同義となる。

しかし、中道派は右から見れば左寄りに、左から見ると右寄りに見える。つまり左右両派に疎まれる厄介な立場なのだ。

例えば「中国との戦争を避けるため日中友好を図るべし」という現実主義的な題目に対し、左右両派はどのように対応するだろうか。恐らく右派は「日中友好などとんでもない」と批判し、現実主義者にサヨクとレッテルを貼るだろう。一方で左派は「中国は日本と戦争する気など最初からない」と批判し、現実主義者にウヨクとレッテルを貼るだろう。

現実主義の目指すものは、国民の安全と利益を現実的に取り得る手段で可能な限り長く維持することだけだ。何らかの最終目標があるわけでもない。そこにあるのは終わりのない損得計算だけだ。だから現実主義はつまらない。一方で何かのイデオロギーに依拠すれば、個人は達成すべき大いなる目標を与えられる。日々を飽きずに過ごせるだろう。

だがイデオロギーに依拠した人々が理想を語るためには、彼らの権利と安全が保障されていなけれならない。皮肉にも、それこそ現実主義者たちが目指すものなのだ。

*1:現実主義とは、「現実主義」という一種のイデオロギーなのだと批判する論者もいる。