靖国神社: 真の伝統だけが生き残る

内閣総理大臣による靖国神社への公式参拝を肯定する際、頻繁に使われる論法がある。アメリカの事例を挙げることだ。

例えば、アメリカの大統領就任式において新大統領は聖書に手を置いて宣誓をする。また、アメリカの裁判や国会において証言者は聖書に手を置いて真実を述べると誓う。確かにこれらは事実だ。

しかし、これは根本的な部分を誤解している。こういった政治的な行事に宗教的な象徴を用いるのは、世界*1でもアメリカだけなのだ*2。よってアメリカの事例を挙げるだけで「世界でも政教分離は有名無実である」とは言えない。もし、アメリカの事例を以って政教分離を否定するとするならば、直ちにフランスやドイツ、ロシアなど他国の大統領就任式の事例*3で反駁されてしまうだろう。

また、約10年前に施行された国旗及び国歌法に関する法律を支持する際にも同じ傾向が見られた。即ち、「世界では」国旗と国歌が法律によって規定されているのだから、日本でもそうするべきだという意見だ。

この問題を政教分離の例と同じような詭弁を用いて否定するとすれば、イギリスの事例を上げることが出来る。無論、それも同じく「イギリスが世界の例外だから」に過ぎない*4

そもそも自国が持つ独自な文化や伝統、習慣に関して他国の例に倣う必然性があるのだろうか。もし全ての要素を他国と同じようにしなければならないとするならば、極論すると日本語*5すら捨てさらなければならないだろう。

だが、論じるまでもあるまい。日本語を捨て去る必要は全くないし、そもそも不可能だ。日本人は日本語を使う人々なのであり、この伝統は容易に覆せるものではない。たとえ今、他国が日本を占領して別の言語を強制したとしても、依然として日本人は日本語を使い続けるだろう*6

日本語は真の伝統であり、本物であるからこそ決して揺るがない。つまり、本当に文化や伝統を守りたければ、下らない理論付けをする必要などない。伝統とは、多少の困難に直面しても自律的にその在り方を維持できるような人間の営みだからだ。理屈抜きで維持できないようなものは本物の伝統ではない。そう断言しても良い。

靖国神社が国の伝統と信じるならば、むしろ悠然と構え、その盛衰は時の移ろいにこそ委ねるべきだろう。

余談

但し、靖国神社が真の伝統であるかどうかは疑わしい。特に幕末期に逆賊の汚名を着せられた武士の末裔としては首肯しがたいものがある。ま、分かる人にしか分からないだろうが。



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*1:厳密には、主権在民政教分離、共和制を採用する近代国家の条件が揃った国々の中で

*2:正確にいえば、イギリスでも地域によっては聖書を用いる。

*3:大抵の場合、憲法の法典書に手を置く。

*4:そもそもイギリスは潜在的な主権を持つ王国群がイギリス王室(イングランド)を盟主として連合を組むことで成立した国だ(似たような例としてアラブ首長国連邦がある。)。また、成立以降は敗戦したことがないために国家体制が近代の面影を残しており、色んな点で例外だらけの国と言える。

*5:世界でも極めて孤立した言語だから。

*6:かつて欧米諸国の植民地にされた地域の人々も決して自分たちの言葉を忘れず、使い続けていた。このことを鑑みれば、(別言語を強制されても)日本語を使い続けるという推測は正しいと言えるだろう。