知的な誠実さが必ずしも最善とは限らない。

粘着気質 - 妄想科學倶樂部
妄想科學日報の芹沢氏は、ハッキリ言って生真面目過ぎる。

本人も「長文で執拗にエントリを無視した投稿を続けるような輩は単なる荒らし」とは認識しているのだが、それでも何か無用な不安さえ感じさせる無名の「粘着」氏にそれなりに対応し続けている(約1ヶ月くらい?)。これは逆効果ではないか、と強く感じる。

「粘着」氏は、基本的に細部に異常な執着を見せ、そこを突くことによって芹沢氏を攻撃し続けている。いや、意外に細かい点から相手の主張する論理性を崩せることもあるのだが、ある投稿のおおよそ2、3行の文章を延々と(更に他の投稿にまで引っ張り続けて)攻撃することが果たしてお互いの認識を昇華させるような議論に繋がるだろうか*1

kilemallは、そうは思わない。ただ、ここら辺は価値観の問題なので、かみ合わないと会話にならないが…。

kilemall自身は、別に「個人攻撃をやるな」とは思わない。ただ、少なくても無駄に挑発的な態度(例えば、語尾の「w」は好意的な記号なのか?)とか、単純な侮辱語(バカ・アホの類)を織り交ぜて意見を主張する理由(「根拠」とも言い換えても良い)が全く理解できず、支持できない。何故なら、そういった類の言葉を使わなくても議論は十分成立するからだ。*2

話を元に戻すと、芹沢氏は(その本人も自覚しつつあるように見える)自滅的行為を相変わらず続けている。何故だろうか。

それは、芹沢氏本人が余りに知的に誠実過ぎるからだ。かといって、無駄に挑発的な投稿に誠心誠意の返答をする気も起きないといった印象も同時に受ける。そういった「誠実に返答するけど誠心誠意じゃない回答」という中途半端な態度が本人の「誠実な」入力とは逆の出力結果となって吐き出されている。

個人的な見立てでは、芹沢氏のブログの内容は、基本的に本人の誠実さが滲み出ている感でいっぱいなのだ*3

意見を公表しているといっても、所詮は個人ブログだ。個人ブログという「半・個人&半・公共の空間」において、「批判は相手にしなければならない」という議論におけるルールは、努力目標であって義務ではない。相手にしたくなければ放置して良いはずだ。相手がそれで勝利めいた感慨に浸れるとするならば、むしろWIN-WINで双方向ハッピーエンド。

無論、芹沢氏が取りあえず相手にするから口出すなというのならば、ウチのような零細新米ブログが口を挟む必要はない。というか、もしかしてkilemallが釣られてるだけなのか。

*1:ちなみに、この疑問は次の条件下でのみ成立:「粘着」氏が純粋にお互いの認識を深めるためだけに議論している。

*2:ネタやストレス解消のための投稿というならば全く異次元の話祭りで裸踊り - 電波受信記録

*3:このブログのように電波と断ってネタを書いているのとは全く異なるのだよ。えへへへ。