ストリーキングが怖いのは

自分で 祭りで裸踊り - 電波受信記録 みたいなこと書いておいて何だけど、路上で裸踊りされるのは、見る側にとって不愉快で無益、かつ恐ろしいことだ。

議論というのは、お互いが知らなかったり、気付かなかったりする部分を意見をぶつけ合わせることで発見していく試みのこと。この意味では、議論は全く有益なことになる。例え議論に負けたとしても、別に失恋と違って人格が傷つくことはない(意見と人格は別物なので)。何かを失うどころか、知らないことを知る機会を得られるワケだから、負けても得るものがある。だから、原理的に議論はやればやるほど得をするハズだ。

ところが、議論の相手が上で書いたみたいな前提を共有していない場合は恐ろしいことになる。この状態を kilemall は、裸踊りと呼んでいる。こちらはあくまでお互いの意見を元に新しい発見(公的には既知のことでも良い)をするつもりなのに、相手はストレス解消とかネタとか、あるいは人格の優劣を競うものだと考えて議論に参加してきた場合、相手にされる側は多くのものを失う危険性がある。少なくても得るものはないだろう。

そこでどうすれば良いのか。それはここで書いた通り、自衛の策を取るしかない。見たくないものには目をつぶる。
それを敗北主義と感じるなら、必死に凝視して目が潰れるまで頑張れば良い。要は知識欲における損得勘定であって、得するものがないと判断すれば積極的にバカになってしまう方が良い。

反論しないとどうしても気分が収まらないという方にオススメなのは、「窓からPCを投げ捨てろ」という格言しかありません。終わり。