「産む機械」発言は男性差別か

産む機械と言ってはなんだが、装置の数が決まったとなると、機械と言っては申し訳ないが、機械と言ってごめんなさいね
- 第7代厚生労働大臣の発言より

男性は「子を産む燃料」という帰結

女性が「子どもを産む機械」であると仮定してみよう。古典的(即ち誰もが認める)な機械の定義は以下のようになる(wikipedia より)。

  • 外からの力に抵抗してそれ自身を保つことのできる部品を組み合わせてできていること。
  • 各部品が相対的かつ定められた運動を行うこと。
  • 外部から供給されたエネルギーを有効な仕事に変換すること。

ここで重要になるのは、「外部から供給されたエネルギーを有効な仕事に変換する」という一節である。このエネルギーとは、一般的に電気や燃料、人力などだ。

さて、女性=産む機械は、どのようなエネルギーを「子どもを産む」という仕事に変換しているのだろうか。つまり、女性のランニング・コストは何であろう。保険会社と日本政府が想定する一般的な家庭を例に取ると、女性は専業主婦である。専業主婦は、配偶者の稼ぎ出す貨幣によって生活を維持している。配偶者とは男性である*1。この場合、女性は機械であるので、この機械に仕事をさせているエネルギー源は、配偶者=男性と考えられる。
さて、エネルギーとは電気や燃料のようなモノであると述べた。この定義から、男性は電気やガソリンと同等のモノと例えられる。つまり、女性が「子どもを産む機械」であると仮定すると、男性はその機械を働かせるための「燃料」ということになる。

また、女性は「機械」であるため、目的以外の行為は原理的に不可能であると考えられる。つまり、一般家庭という条件を取り除いても、結局女性は専業主義以外にはなり得ない。即ち、男性は無条件に「子を産む燃料」という帰結が導き出せる。

以上から、女性は機械という「外からの力に抵抗してそれ自身を保つ」性質を持った個別の存在であるが、男性はその性質すら持たない単なる物質であり、人格はおろか個別の存在すら認められていない。これは明らかな人権侵害であり、男性差別だ。

よって、「産む機械」発言は男性差別である。

*1:日本では同性愛者の婚約は認められておらず、また一般家庭という定義から同性愛者世帯は除外される