waltrot 氏への反論 - 「産む機械」発言のまとめに代えて

http://d.hatena.ne.jp/waltrot/20070201/p2

waltrot 氏自身が「出来れば的確なコメントでぼくの傲慢を打ち砕いて欲しい」と述べているため、普通に(ネタ要素低めに)反論を書いてみた。これは、kilemall の善意に由来したお節介である。

また、(電波受信記録における)2007年01月31日の記事が全て「産む機械」発言を材料にしたネタ要素が極めて高い内容だったため、kilemall なりに某発言に対する解釈(というか意見)を書いておく必要があると思っていた。これも当記事を書いた理由の一つ。waltrot 氏への反論なんて興味ないという方は、一番最後の「まとめ」だけ読まれると時間の有効活用なのか(疑問形)。

無論、waltrot 氏の文章にも少なからず「ネタで書いたのではないか」と思わせる感もあったのだが、発言を考える上での格好の材料だったので素直に使わせてもらった。もしネタであったのならば、kilemall が釣られてしまったということでご容赦下さい。

産む機械」発言は大臣のジャストな感覚だったのか

産む機械」発言は彼ご本人の主観を想像するに、やはり裏返してジャストな感覚だったのではないか、と。

大臣自身が発言の途中で、以下のように述べています。

  • 産む機械と言ってはなんだが
  • 機械と言っては申し訳ないが
  • 機械と言ってごめんなさいね

このように、しつこいほどの弁解を添えながら発言しているところを見ると、決してジャストな感覚でなく、「比喩として使うけど気を悪くしたらゴメン」くらいの感覚で使っていると考える方が自然です。
また、大臣自身も後日改めて「人口統計学を分かりやすく説明したつもりだった」というような発言をされています。よって、「ジャストな感覚」は曲解です。

「機械化」のプロセスが少子化問題解決に必須か

「機械化」というプロセスを経由しなければ少子化対策なんてどうにもならないし

  • 今の女性は(中略)たくさん子どもを産んでくれない
  • (人間は)ほかからは生まれようがない→産む機械(=装置として例える)
  • 合計特殊出生率が(略)今、日本では1.26。(略)それを上げなければいけない。

当の発言は、上の引用文にもある通り、主に合計特殊出生率(一人あたりの出産数)について述べたものです。また、「機械」とは入出力を備えた装置(要素)の比喩として使われています。個々人を区別せず、単純な要素として捉える手法は統計学的であり、ある意味で経済畑出身の大臣らしい表現と言えます。
要するに、大臣の発言おいて女性は「機械化」する人格(対象)ではなく、前提からして機械(要素)です。よって、「機械化せよ」という意図は曲解となります。

合計特殊出生率が約2.0を切ると、人口は自然減となります。ですから、1.26 というのは非常に低い数値といえます。こういった状況を踏まえ、「一人あたりの出産数」を上げる必要があると述べているだけであり、例えば「妊娠可能な女性のすべてに(機械的に)出産させなさい」といった意図は、少なくても当の発言からは読み取れません。

つまり、大臣自身は「機械化」を必須なプロセスと主張していません。

「機械」の反対概念=「愛情」や「親愛」という属性が何の役に立つのか

あまりに機能化された社会でいったい「機械」の反対概念、たとえば「愛情」だとか「親愛」だとかいう属性が何の役に立つというのか?

機械(無生物)の反対概念は生物であり、「愛情」や「親愛」といった属性(正確に言えば感情)は別概念です。確かに、感情を持つのは生物だけですが、生物でも単細胞生物といった存在は感情を持ち得ないと考えられているので、生物を感情の同義語として扱うのは飛躍があります(以下に続く)。

人々は不幸であり、その閉塞感が物議をかもす背景となっているのか

人々はみんな不幸になっているのに。たとえばそんな閉塞感が、産む「機械」などという「あまりにもジャストな」言葉を社会にばら撒かせてしまったのではないだろうか。

少子化でみんなが不幸になっているというのは思い込みかもしれませんし、「人々が不幸であること」と「愛情」や「親愛」が機能しないということの関連性の証明が(文章中に)なされていません。
また、一般的に少子化は、主に様々な要因で「子どもが欲しくても持てないこと」が問題とされており、その解決策もそういった悩みを持つ家庭に対する援助が中心となっています。「愛情」や「親愛」が機能していないことが原因として挙げられることは一般的ではありません。むしろ、どうにかして子どもが欲しいと願う家庭*1に救いの手を差し伸べるのが目下の急務です。

また、当発言における指摘は、「一部の女性が子どもを産まないことが問題なのではなく、女性一人あたりの出生数が問題なのである」という(以前から人口統計学者の間で主張されていた)学術的な常識を述べたに過ぎません。

国会議員が抗議を行うのは滑稽か

その言葉があまりに我々の人生において的を得過ぎているもんだから、「機能の中枢」である国会の人間があんなに異常な、滑稽なまでの抗議行動を起こしているのでは。まるで、自分は機械なんかじゃないとでも言っているかのように。

大臣の発言が「的を得過ぎている」から批判されているワケではなく、発言内容が語弊を招く方向に曲解されているため、大きな騒ぎになっているのです。その曲解が意図的なのか、それとも無知に由来するものなのかは断定できません。
また、野党側のみが抗議しているのではなく、与党側からも随分と反発があるようですから、深刻な問題と捉える方が自然です。今回の騒動は野党にとって格好の攻撃材料であり、この機に乗じないことこそ全く失策となるため、抗議行動を起こさない方が実際には滑稽な話なのです。

表面的な倫理の問題は男性のみが問題とすべきか

勿論ですって、そりゃそうですって、貴女がたはれっきとした人間、女性じゃないですかあ。そんなこと、忘れるわけないじゃないっすかあ。疲れません?そんな必死になって何を。女性は表面的な倫理の問題を扱うべきではない。

当の発言を問題にしているのは女性議員だけではなく、男性議員(及び政府関係者)の中にも存在しています*2。この引用文によると、「男性は表面的な問題を扱っても良い」ことになりますが、そうなると男性議員による当発言の批判は正当なものだと認めることになります。その認識で正しいのでしょうか。

しかし、男性議員の発言は正当であるとする場合、他のエントリ内における主張と矛盾します。但し、部分的な自己矛盾なので、主張全体の正当性が崩れるワケではありませんが*3

まとめ

  1. 産む機械」発言の要旨は、人口統計学における合計特殊出生率*4を平易に説明することだった。
  2. 発言内の「機械」とは「ある機能を有する要素」を意味する代名詞であり、実際の機械を意味していない。
  3. 上記の2つの理由から、「発言は女性差別である」という意見は曲解である。
  4. 一方で、与党内からも批判の声があり、大臣の辞任は「政治的な理由」で肯定され得る。
  5. オチがなくてごめんなさい。

*1:「愛情」や「親愛」という概念と親和性が強い。

*2:小沢一郎議員や下村博文官房副長官など

*3:今回の記事と2007年01月31日における電波受信記録の記事は完全に矛盾します。

*4:人口統計における指標の一つ。女性一人あたりの一定期間(15〜50歳)における出産数を表す。