新しいサヨクのための処方箋

北朝鮮や中国が将来的に日本へ侵略行為を行うかもしれない。だから自衛隊が必要なのだ。


このような意見が近年頻繁に唱えられるようになってきた。言論界のみならず、市井の人々の口からである。

優しいサヨクの皆さんには、上記のような考え方が一見右翼的に映るかもしれない。だが、その実体はむしろ左寄りなのである。何故なら、「専守防衛」の考え方を現実に即して具体化した案に過ぎないからだ。つまり、あくまで外国による侵略を防ぐためなら、軍事力の保持を辞さないというだけの論理である。

所謂、人口に膾炙した「戦後左翼(サヨク)」は、軍事力の保持自体を否定する傾向が強い。だから、サヨク的な視点からすれば、上のような意見は「右寄り」に属すると見させるだろう。実際、多くの人々がこういった考え方を「右翼的」と感じているらしい。それは自らを「右寄りだ」と規定する人々(ウヨク)にとっても同じだ。だが、その左右観は、若干マスメディアの影響を受け過ぎているのではないという印象を受ける。

右翼思想の根幹は、伝統の保守あるいは回帰だ。左翼の根幹は、右翼の正反対の立場だと考えれば良い。そうすると、戦後日本における軍事力に対する考え方は、どのように左右に分かれるか。ここで「吉田ドクトリン」が参考になる。即ち、「軽武装かつ経済優先」という立場だ。戦前回帰的な志向(軍拡路線や天皇主義)を捨て去り、新しい日本はどうあるべきかを模索している。これを戦後日本における「左」の青写真と考えて良い*1。「戦争反対!憲法遵守!」という優しいサヨクの考え方は、やや視野狭窄な解釈ではあるが、吉田ドクトリンと矛盾しない(但し、共産党は「極左」なので棚上げさせてもらう)。

さて、そうなると原理的に「吉田ドクトリン」に反対する立場が戦後日本の「右」の青写真となる。つまり、戦前(大日本帝国)という伝統への回帰である。これは「岸ドクトリン」と言われる。つまり、岸ドクトリンが戦後日本の「右」の根本理念である*2

そう考えるとどうだろう。他国による侵略を防ぐための軍事力。愛する者を守るために僕らは戦う。幾分感傷的な専守防衛の捉え方だ。しかし、こういった考え方は、暴力を題材にせざるを得ない少年マンガや特撮でしばしば主張されてきた。ある意味で、日本人が先の世界大戦を乗り越え、辿り着いた一つの結論とも言える。

しかし、これは「右翼的」だろうか。いや、この考え方は左に傾斜し過ぎた状態をほんの少し右に近づけただけに過ぎない。依然として本質的に「左翼的」とすら言えるのだ。

但し、今後の日本がサヨク(=吉田ドクトリン)的な立場を維持するためにはどうすれば良いのだろうか。軍事に関して言えば、その在り方は一つしかないかもしれない。即ち、外国との共同防衛に参加すること。つまり、海外で軍事力を発揮できるようにすること。有り体な言い方をすると、アメリカによる軍事活動の海外援助をすることだ。

一見矛盾したような結論。これには捩れた理由がある。

日本単独では国家を守れない

ご存知の通り、日本には単独で国防の全てを担任できるような軍事力がない。確かに日本の軍事費は世界最高水準*3だったりする。だから、予算額だけで鑑みると凄い軍事力を持っているよう見えるだろう。だが、日本の軍事費の使い方にはかなり無駄があるため、金額ほどの能力はない。無駄遣いという点では、他の省庁における予算の使い方に似ている。

また、核抑止力に代表されるような「他国が侵略を躊躇するほど脅威的な軍事技術」も保有していない*4。日本が国防上有効な軍事力を持てないのにも幾つか理由がある。例えば、すぐに思い付くのは、特定アジアの国々による外交干渉(恫喝のようなもの)。でも、これは大した障害ではない。諸々の事由の中で最も厄介なのは、アメリカ合衆国自体が日本に「脅威的な軍事技術」に持っていて欲しくないことだ。

アメリカは、軍事外交においては、原則的に「力の均衡」を強く意識する。つまり、各国の軍事力がうまく均衡を保っていれば、大きな混乱は生じ得ないという考え方だ。日本は、先の負け戦以降、強大な軍事力を保持していない。そうなると、今から突如として日本が大きな軍事力を持つとどうなるか。極東アジアにおける「力の均衡」が崩れ、不測の事態が起こるのではないか。そうアメリカは考えている。結果として、今のところ日本は、国防を一挙に引き受けられるような軍事力を保持することが出来ない。

繰り返そう。戦後日本は単独では国を守れる軍事力を持っていない。また、そのような軍事力を持つことも出来ない。さて、このような状況で、日本はどのようにして国家の安全を維持していけば良いだろうか。そこで、戦後日本では「アメリカとの軍事同盟(日米安保)」という方策が採用され続けてきた。

日米安保は「平和主義」を維持するためのカラク

日本をアメリカに守ってもらう。即ち、「アメリカの傘」というのは、それほど悪くない案だ。その傘の下にいることで、日本は軽武装でいることが可能になる。一応、憲法九条の理念にも反することもない。この案の短所としては、星条旗を置いておくための場所代(沖縄県と各地の米軍基地など)と折に触れて上納金(思いやり予算)をアメリカに貢がなければならないという点が挙げられる。しかし、本格的な重武装の軍隊を維持する費用に比べたら、その程度の費用は比較的「お買い得」といっても良い。要するに日本は、戦後、アメリカをうまく利用(依存)してきた。これを「番犬を飼う」と表現することもある。

言うなれば日米安保は「お酢」だ。(絶対的)平和主義と国防という「水と油」をうまく混合し、平和風味マヨネーズを作るための「お酢」だったのだ。

ところが、アメリカに対する日本の幼年期は終わってしまった。それはちょうど冷戦という「揺り籠」がなくなった時期と一致している。日本は、揺り籠がなくなった後も暫くの間、自分たちは幼年期にあると思っていた。だから、湾岸戦争以降の大人の社交場に半ズボンで出席して周囲の失笑を買うという事態を招いていた。

とはいえ、日本は声変わり(平成不況)を機に、自分が「大人の役割」を求められていることに気付いた。その「大人の役割」の一つこそが「集団的自衛権」という「権利」の名前を冠した「義務」である。集団的自衛権というのは、簡単に説明すると「他国が自国を守ってくれる代わりに自国も他国を守る」という約束のことだ。

集団自衛権の約束をしてしまうと、日本は上に述べたような「おいしい立場」を失ってしまう。だが、アメリカは日本に「大人の選択」を迫っている。即ち、「集団的自衛権にYes!」か、それとも「アメリカの傘」を閉じるかだ。つまり、集団的自衛権を認めなければ、日本は単独で国防を賄わなければならなくなる。

集団的自衛権にNo!=自主防衛による軍国主義化への回帰

例えば、集団的自衛権を認めず、アメリカの庇護から独立した場合はどうなるだろう。残念ながら、日本の周辺には友好的な国がない。アメリカの傘が閉じたとしたら、正直な話、「自主防衛」の道を採らざるを得ないだろう。自主防衛するとなると、当然、軍備は重武装でなければならない。何故なら、軽武装では外国が侵略を躊躇してくれないからだ。

そうなると極東における「力の均衡」が崩れる。当然、アメリカとは不和になる。「悪党国家*5」扱いされるかもしれない。同じ悪党国家同士、北朝鮮との関係は改善されるかもしれない。社民党は大喜びだ。しかし、その他の周辺国家との関係は相当険悪になるだろう。その気になれば他国を侵略できるほどの軍事力を保持することになるからだ。更に、アメリカと不和になれば、今まで友好的だと思っていた国々も日本に敵対し始める。国際的な村八分が発生するのだ。

また、重武装するためには莫大な軍事費が必要になる。自主防衛ということになれば、日本は他国との共同防衛を期待できない。つまり、全ての軍事支出を日本が単独で賄わなければならない。超大国アメリカですら、この軍事費を完全には捻出するのは難しい。だから、アメリカの傘と交換条件に(日本を始めとした)色々な国に費用を肩代わりさせている。

確かに、今のところ経済大国である日本なら捻出できないこともない。しかし、アメリカと不和になれば貿易活動も停滞する可能性を忘れてはいけない。そうなれば、日本国民が生活を切り詰めて国防費に当てなければならなくなる。税金は限りなく上がる。金属や石油といった各種資源も無駄遣いできなくなる。食品関係の貿易も鈍化するだろう。食料は配給制になるかもしれない。

但し、軍需産業が大々的に解禁されれば別の道もある。日本の高度な技術力がある。これを生かしてミサイルや軍艦を中東やアフリカといった地域の軍事国家に売りつければ、それなりの収入になるだろう。勿論、これは日本が「死の商人」になるということだが。

他にも自主防衛ということで言えば、スイスが参考になる。スイスは国策として徴兵制を採っている。自主防衛ならば当然だろう。同様に日本も徴兵制を採用するに違いない。秋葉系の方々にとっては、アニメのガンダムよりもリアルな「ガンダム的体験」が待っているわけだ。

総合的に考えれば、これは明らかに軍国主義への回帰だ。まさに「岸ドクトリン」の理想とするところである。むしろ戦前のように国家としての理念*6がない分、悪党国家としての性質が強まるかもしれない。天皇陛下は世界中から軽蔑される存在に成り果てるだろう。

時代は変わった。戦前に回帰しても良いことなど一つもない。そう考えるのが日本の「左」だ。集団自衛権を否定することは、戦前への回帰に繋がる恐れがある。「左」であろうとするのなら、これは避けるべきことである。

集団的自衛権にYes!=現実的に限りなく左寄りの方策

では、集団的自衛権を認め、アメリカとの共同防衛を選択した場合はどうなるだろう。要は「集団的自衛権にNo!」とは逆になる。

つまり、自衛隊の活動範囲を現状より少しだけ拡大する。「力の均衡」は保たれるので、相変わらず自主防衛できるほどの軍事力は持てない。どんなに頑張っても中武装が良いところだろう。間違っても他国を侵略できるほどの軍事力は持てない。アメリカに対する上納金は増額されるかもしれない。しかし、重武装するよりは安価であることには変わりない。周辺国との関係も現状維持だ。北朝鮮問題に関しても、今まで通りアメリカの強力な支援が期待できる。

たとえ現状より自衛隊が強化されたとしても周辺国家(特定アジア)へ言い訳が利く。あらゆるリスクを抑えて合法的に軍事力を強化できるのだ。軍事力の強化は、中華主義への牽制にもなる。軍事マニアな方にも満足して頂けるだろう。

何よりアメリカの傘に居座り続けることが出来る。集団的自衛権を認めず、擬似軍国主義化する場合比べてみよう。間違いなく、こちらの道こそが戦後日本が歩んできた「平和主義」の在り方だ。また徴兵制まで導入する国に比べれば、限りなく憲法九条の精神を遵守しているとも言えるだろう。

そう、現状で採り得る政策の中で最も「左寄り」なのは、限定的な自衛隊の強化なのである。故に、これこそ「左」の採るべき最も合理的かつ現実的な道だと断言しても良い。

「右」を否定するための「中道」への軟着陸

突然だが、サヨクの皆さんは戦前へと回帰したいだろうか。サヨクであることを正しいと心から信じているだろうか。戦前という「右」を否定するからこそ、サヨクは「左」であるはずだ。「右」を否定するためにサヨクの皆さんは何が出来るだろうか。何をしなければならないだろうか。

若年層を中心とする「癒し」としてのネット右翼を叩くべきだろうか。「戦争反対!憲法遵守!」と国会の前でデモを打てば良いのだろうか。それは違う。サヨクならば、本質的に「右」へと移行する危険性を現実的な手段で破壊するべきなのだ。

今、確かに日本は右傾化している。何故なら、あくまで若年層が中心ではあるが、明らかに戦前に対する再評価が始まっているからだ。それが良い悪いという話ではない。政治問題は倫理ではない。要は信念である。茶化した言い方をすれば、椅子取り合戦とかリバーシの類である。

リバーシというのは、政治を表わす良い例だ。一見有利に事を運んでいるように見えても、盤上はたった一手で形勢が逆転する。駆け引きにおいては、利益を最大化する手よりも不利益を最小化する手を選ぶ者に勝利がもたらされる。ゲーム理論が導く結論だ。

故に、サヨクも不利益(=右傾化)を最小化する手を模索するべきだ。反動としての右傾化を食い止めるためには何をすべきか。それは左から中道への軟着陸である。確かに中道は「左」よりも右寄りだ。だから気に食わないこともあるだろう。しかし、このまま「左」に居続けようとすることは、むしろ「右」に形勢逆転の機会を与えることになる。忘れてはならない。中道は「右」より左寄りなのだ。

あえてサヨク側が「右」に一歩踏み出そう。そうすることで「右」は出鼻を挫かれる。先に動くことで左右を巡る事態は沈静化する。何故なら、その他大勢にとっては、社会が「右」に移行したように見えるからだ。右傾化への欲求が満足されれば、多くの人々は現状維持を望むようになる。現状に飽きれば、次は左に行こうとする。もう一度左に揺り戻そうと思うならば、そのときが最善の時期だ。

これはアメリカ合衆国の例を見ても明らかだ。9.11以降、アメリカは急速に右傾化した*7。このとき、むしろ左寄りの人々が積極的に右傾化に関与した。そして数年の時が過ぎ、事態が沈静化すると急激な左傾化の嵐が吹き荒れ始めた。反動だ。この暴風は、民主党への心地良い追い風となっている。

だから、サヨクはむしろ一歩右に踏み出すべきなのだ。戦略的に言えば、それが不利益を最小化する最も正しい行動だ。いい加減、金科玉条は質屋にでも預けてしまえ。その対価で「右」の先手を打て。ウヨクでさえ味方に付けろ。そして本物の「右」を討て。金科玉条を取り戻すのは、「右」がしばらく再起不能に陥った後で良い。

新しいサヨクのための処方箋

優しいサヨクは古いサヨク。古いサヨクにサヨナラしよう。
あなた達が保守化し、自ら動くことをしないのも一つの選択だ。誰も迷惑しない。むしろ「右」は餌を与えるようなものだ。そして、日本は失うモノのない「右」に食い荒らされることになる。

勇気を出して一歩だけ「右」へ踏み出すこと。「右」を退治するのなら、これだけで十分である。もともと大した敵ではないのだから。

(v1.03)

*1:吉田茂保守本流の開祖であって左翼とは笑止千万」と思う向きもあろう。だが厳密に考えれば、戦前を否定し、現実的な国の歩む道を敷いた吉田茂こそが戦後日本の(中道)左派思想を築いた人物だといえる。共産主義といった「極左」からすれば右翼的だが、岸ドクトリン(戦前回帰)からすれば左翼的である。吉田茂の政治的バランス感覚は、まるでジャイロコンパスのように正確だった。

*2:奇しくも岸信介は日本の右翼団体と極めて密接な関係を維持していた。また、岸元首相は日米安保を更新延長したが、最終的には戦前的な自主防衛を志向していた。分かりにくいかもしれないが宇宙探査機を例に説明しよう。まず一時的に人工衛星「吉田ドクトリン」と同じ軌道上を回りつつ、重力ターンすることによって加速を得る。そうすることによって、「アメリカ」という惑星の重力から脱出しようとしていたワケだ。

*3:日本の軍事費に関する情報源をネットで検索すると多くが『赤旗』系。そこで不本意ながらWikipediaの「日本の軍事」を参照のこと。

*4:「驚異的」ではなく、「脅威的」である点に注意。

*5:rogue state - 「ならずもの国家」とも言う

*6:八紘一宇, 大東亜共栄圏, 白人至上主義への対決など

*7:アメリカにとってはリバタリアニズムこそが保守本流なので、厳密に言えば左傾化したとも言える。しかし、日本の場合に照らし合わせれば右傾化と捉えて良いだろう。