日本語未満を避けるために
漢語が多過ぎる日本語は、一見格調高くみえる。だが読みにくい。圧倒的に読みにくい。どのくらい読みにくいかというと、書いている本人すら自分の書いている文章を完全に把握できなくなるくらい読みにくい。
特に哲学書では格調高さを重視する傾向から、漢語を著しく過度に濫用する(←わざと漢語を使ってみた)。確かに哲学書というのは、そういった格調高さ自体が売り物であったりするわけで*1、そういった演出は必ずしも悪いものではない。
だけど、いざそれを他人(特に初心者)に文章で説明しようとするときは下手な演出はできるだけ押さえておいた方が、結果としては「良い文章」になったりするんだな、これが。逆にいえば、相手を煙に巻こうと思うなら、わざと漢語の百鬼夜行を敢行してみると良い結果が得られるでしょう。例えばこんな感じ。
訳文における漢語の偏在は、その原文に対する本質的な無理解を露呈してしまうという皮相的実体を鑑みて、原書を解する読者の批判精神を刺激し、彼らの顔筋に冷笑と嘲笑を喚起する契機となり得るだろう(←わざと日本語未満な文章にしてみた)。
哲学書に興味関心がある方々は頭が良いはずなのだから、やっぱり日本語は正しく使えるようにしましょう。漢語を散りばめて訳したつもりになってると、原書を読み込める連中にせせら笑われるよ。まぁ、日本語未満な文章は禁止の方向で。