絶滅後の日本語

日本語を使う人々が絶滅し、1千年ほど経ったとする。そこに失われた古代言語、日本語を読もうとする好事家が現れた。彼らは日本語が解読することができるだろうか。

台湾人は何となく日本語の公式な文章を理解できるという。漢語がたくさん使われているからだ。つまり、その時代に中華語が残存していれば少なくとも漢字くらいは理解できるだろうから、公文書や教科書のような堅い内容であれば恐らく解読可能だろう。

しかし、江戸以前の日本語はどうか。漢語が少ない。あるいは無理な当て字が多い。解読は恐らく絶望的だろう。また、明治以後の文章であってもその内容を完全に解読するのは難しいはずだ。かな、カタカナ、漢字、外来語。日本語はとても混沌とした言葉である。まるで言葉の「るつぼ」だ。

ユダヤ人の情熱により、一度は失われたユダヤの言葉、ヘブライ語は何とか復活した。テルアビブは「春の丘」である。しかし、日本語は一度失われれば二度と復活することはないだろう。それだけ貴重で不思議な言語である。