自己責任の発動

自己責任という言葉には、「自己」という言葉が付いている。その責任を取らされるのが「自己」と捉えるべきか、その責任を取るのが「自己」と見るべきか。つまり、「自己」の受動性と能動性との間にある差異が重要なのである。

「自己」を受動性のあるものと捉えるならば、その「責任」は要求に従って負わされるものである。逆に言えば、要求がない限り、その個人は「責任」をまっとうする必要がない。「自己」を能動性のあるものと捉えるならば、その個人は周囲の勧告に関わらず、自分の判断で「責任」をまっとうしなければならない。

但し、その「責任」が受動性と能動性を兼ね備えたものであると捉えるならば、それは既に「義務」である。「義務」の問題を「自己責任」の問題とすり替えると、重大な誤解が生じる恐れがある。

ここからは応用編。例えば、「義務」であるべき(あって欲しい)ものが「義務」と規定されていなかった。その上で恐れていた「擬似義務」の違反者が発生したとする。この場合、法の不遡及の原則からその違反者を罰することは原理的に出来ない。そういった際は、「自己責任」とか「倫理」といったような概念を持ち出すことで違反者にある程度の擬似刑罰を下すことが可能となる。「自己責任」中の「自己」の部分を曖昧に解釈することで、「義務」を「責任」であるかのように言い換えることができるのだ。

その意味で、義務であるべきことは事前に義務化しておくべきである。義務化しないのであれば、その違反に対して責任を負うのは、義務化する権限があった者ということになってしまう。論理的には、ね。