思想

異常な親と精神疾患

「仲の良い家族」は近代社会のイデオロギー しばしば精神疾患の原因として「親が異常(人格)」という理由が挙げられる。しかし、大なり小なり人格に異常性を持っていない親の方が珍しい。完璧な親などいない。結局、精神疾患を持つ本人自身がそういった異常…

若者の自殺率: High or Low?

一般的に信じられていること 日本における若者の自殺率は世界最高水準で、近年は増加率も高い。死因に関しても自殺が常に第一位。 ありがちな反論 すべてマスコミによる捏造、あるいは国民の錯覚である。*1,*2,*3,*4日本国民全体で考えれば、自殺率が世界最…

ムーミン式教育術

フィンランド式教育の目的は、国民すべてを意思決定者に育て上げることである。国家にとって都合の良い歯車に仕立てるためのモノではない。ところで、一般的に国家の意思決定者は権力者である。つまり、権力者にとって被支配民が大きな口を叩くのは都合が悪…

勉強する理由

子どもたちは、どうして勉強しなければならないのか?少なくとも確実なのは「子どものためではない」ということだ。勉強を通じて得た教養は、確かに子ども達の人生を充実したものにするかもしれない。しかし、それは教育における本来の目的から生じた副次的…

無駄の効用

役に立たないことをするのは、それをしている間だけ嫌な現実に目を背けることができるから。現実に目を背け続けると盲目になってしまうが、現実を見過ぎると目が潰れてしまう。適度に目を休めるために、むしろ積極的に生活に無駄を取り入れることも良いだろ…

無題シリーズ

無題その32 精神的に満たされることが難しい世の中だからこそ、物理的に満たされていることが重要になる。 無題その33 議論とは何が間違っているのか、何が正しいのかを他人との会話の中で探っていく試みである。つまり、間違いを間違いと認められない人物に…

思想の悪魔

知的な関心を抱く人々は、思想的立場の違いで諍いを起こす。その違いが本質的な差異だと錯覚しながら。しかし、知的な水準の低い人たちの程度を改めて認識し直すと、途端に知的な争いなど些末な内輪揉めに過ぎないのだと気付く。例えば、右や左の思想的立場…

言葉遣い・格差問題・分割統治

格差問題の要点は言葉遣いにある。例えば、「仕事が大変」という表現を考えてみよう。一般的なオフィス労働者(サラリーマン)の「仕事が大変」という言葉は、「毎晩遅くまで働かされている。定時過ぎは当たり前。安月給。上司の小言も聞き飽きた。やりたく…

存在せずに存在する世界

仏陀は何故、我々は実際に存在しているのにも関わらず、存在してないなどといったのだろうか。何故なら、存在しているという感覚自体が肉体の制約を受けた認知に過ぎないことを見抜いたからだ。確かに包丁で指を切り落とせば血が流れ、激痛が走るだろう。こ…

信仰の聴力

この世界に「自分がそう信じている」という形式以外の真実があると信じる人間は、他者が奉じる信仰が大声に聞こえる。「自分がそう信じている」こと以外に真実はないと信じる人間は、耳が聞こえなくなる。

否定文の認識における選好

人は否定文に真実味を感じる生き物である。「できる」よりも「できない」に、「ある」より「ない」に、「正しい」よりも「正しくない」により確からしさを感じる。そして、否定文によって成り立つ事象は忘れにくいが、単純な肯定文によって成り立つ事象は忘…

イジメられる者

人間関係の全ては交換が原則として存在する。故にイジメにおいては、明らかにイジメられる者が最も悪い。イジメられ続けるということは、イジメられる原因を解消する義務を怠ったということである。税金を納めなければ罰せられる。このように、集団生活にお…

脳はひねくれ者

脳が私たちを動かすとき、それは常に私たちの願望とは正反対の方向へと導こうとする。 脳とは自己保身の器官である 人の言葉はどんなモノであれ、勝利宣言と負け惜しみが同居している。ある者が述べる世界の真理は、別の者にとって詭弁に聞こえる。この世界…

標識を磨く男

音も光も臭いもない空間の中では、自分が本当に存在しているのか確信は持てない。音や光、臭い、引いては周囲の人間関係といったもの同士の結び付きによって自分を知ることができる。しかし、そういった諸々の関係自体が自分自身であるわけではない。私たち…

無力さの自覚

怨恨、嫉妬、憎悪…人間は良からぬ感情を抱くものである。そして、世の中について正しい見方をすることができない。その無力さを自覚することだけが人間のできる精一杯のことだ。死によって救われることがないのなら、私たちの生は絶望に彩られることになるだ…

無様な負け方

最も無様な負け方というのは、負けたことを認識していないというような素振りを見せることである。無様な負け方をすると、次の行動の全てが軽んじられてしまう。何より、相手があなたに反論の余地が残せるよう(あるいは窮地に追い込まぬよう)に皮肉で留め…

触れてはならない人々

人を傷付けることしか出来ない者に対して一般的な人間関係を強制してはならない。彼らは人を傷付け続けることが愛であり信頼であると錯覚している。彼らに人間関係を迫ることは、狂犬を野に放つことに似ているのだ。同様に相手を傷付けてしまうと自覚してい…

強制された信仰という虚構

少なくとも信仰に対して個人が責任を負う必要がないと考えているのは、世界でも日本列島に済む日本人とオーストロネシア諸島の住民くらいだ。現代において宗教とは選択である。そして選択とは自由の下で許される権利である。権利は責任を対価とする。それが…

原爆投下正当化理論

アメリカによる広島と長崎に対する原爆投下は正しかった。何故なら、原爆投下のお蔭で天皇陛下の身分が保障されたのだから。もし原爆投下がなされず、本格的な本土決戦に突き進んだとしたら、日本は全てを失っていただろう。皇室という制度自体が崩壊し、日…

賢者の石

賢者とは、愚者の振る舞いにすら普遍的な叡智を見出す者なのだという。故に愚者を愚者と指摘するのは愚者だけなのかもしれない。

自己責任の発動

自己責任という言葉には、「自己」という言葉が付いている。その責任を取らされるのが「自己」と捉えるべきか、その責任を取るのが「自己」と見るべきか。つまり、「自己」の受動性と能動性との間にある差異が重要なのである。「自己」を受動性のあるものと…

盲目志願

一人の作家なり学者なりの言葉を人生の希望だと思って生きてしまうと、大抵の場合、その先には大きな失望だけが待っています。対策としては、既に死んでしまった作家なり思想家の言葉を糧に生きてみるのはどうでしょうか。他人の言葉に寄りかかるよりは、自…

罵倒と賞賛

罵倒の本質は、その対象に対する憧憬である。賞賛の本質は、その対象に対する軽蔑である。