学校教育の巧妙さ

数学や物理といった教科を順当にこなすためにこそ文系的な学力が不可欠で、逆に国語や英語、歴史などの教科を順当にこなすためこそ理系的な学力が不可欠である。結局、どんな教科であれ総合的な学力が鍛えられる。

確かに、一見すると文系と理系は厳密に区分けされているように見える。しかし、どんな教科であれ、一方の素養だけで完遂できることは少ない。だから実際は、一方に秀でる者はもう一方にも秀でている可能性が高いのだ。結局、文系と理系を分ける最大の差は、「どちらの系統の勉強により多くの時間を費やしたか」という作業量の違いであることが分かる。

ここに学校教育の巧妙さが隠れている。どんな分野にであれ、優れた生徒というのは、他の領域においても活躍できる人材になり得る*1。学校教育における優秀さとは総合的な能力なのだ。このようにして、学校教育が上手い具合に人材の選別に役立っている仕組みが分かる。本質的な差があるとすれば、文系と理系の差よりも総合職と専門職の間に横たわる違いの方が大きいとすら言えるかもしれない。

*1:脳に高機能自閉症といった特性を持つ人々は除く。また、芸術や運動の素養が学校教育で見抜けるわけではないのは自明である。