勉強する理由

子どもたちは、どうして勉強しなければならないのか?

少なくとも確実なのは「子どものためではない」ということだ。

勉強を通じて得た教養は、確かに子ども達の人生を充実したものにするかもしれない。しかし、それは教育における本来の目的から生じた副次的な結果に過ぎない。

人類は、子ども達を年少から青年期にかけて良く教育することが社会にとって好都合となることを長い歴史の中で発見した。教育は子どもを社会に良く順応させ、生産性の高い人材にすることを可能とする。故に、子ども達は社会へ奉仕するため、勉強を強制される。

もし、教育が子ども達を幸福にするためならば、30代を過ぎても働かず(社会に奉仕せず)、学び続けることが奨励されるだろう。しかし、現実は学び続ける者、あるいは逆に学ばない者に冷酷な眼差しを向ける。何故なら、それらは連綿と続いてきた人類の営みの成果(=社会)にタダ乗りする行為に等しいからなのだ。

そう考えると、上流階級の子女が長く学び続けられる理由が良く分かる。社会の頂点に近付けば近付くほど、社会にタダ乗りする者に近い存在となるからだ。