脳はひねくれ者

脳が私たちを動かすとき、それは常に私たちの願望とは正反対の方向へと導こうとする。

脳とは自己保身の器官である

人の言葉はどんなモノであれ、勝利宣言と負け惜しみが同居している。ある者が述べる世界の真理は、別の者にとって詭弁に聞こえる。この世界において正しい答えを得ることはできない。世界は、自分を取り巻く関係同士の結び付きのみによって成立しているからだ。

例えば、ある場所から抜け出した者には、その場所に留まる人間が愚かに見える。そう考えなければ、自分が愚かしく見えてしまうからだ。一方で、その場所に留まる者は、その場所から抜け出す人間が愚かに見える。そう考えなければ、自分が愚かしく見えてしまうからだ。人間には自分の利益以外のことは考えられない。言い換えれば、自分にとって考えられる限り最善の結果を得ようと全力を尽くす。

私たちは無数の関係性に飲み込まれ、日々を過ごしている。そして、脳はそれらの関係性を単純化しようとする。それが脳にとって楽な状態だからだ。複雑なものを複雑のままで抱えられるほど、脳は強くない。

その合理化の行き着く先に、脳は正反対の属性同士が直接的に結び付いているかのような幻覚を見せる。生と死。創造と破壊。光と闇。脳はひねくれ者だ。私たちが何かをなそうとするとき、それはしばしば進行方向と逆行するような道を指し示す。

脳を欺く

こうして良く生きようと考える人間は、その思考の果てに必ず自己否定に行き着く。その意志の背景にある矛盾した関係に気付いてしまうからだ。即ち、この自分自身が落ちぶれていなければ、それ以上に良く生きることなど出来ない。良く生きることが落ちぶれることに通じる。むしろ同じことである。この矛盾を解消するには、その本体である自分自身を消し去るほかない。

即ち、考えられる最善の解が実質的には最悪のものとなる。良く生きようとすれば死に、死のうとすれば生きる。自己を保存しようとする者は自己を否定し、自己を否定する者が結果的に自己を保存する。得ようとすれば失い、失おうとすれば得る。ならば、私たちが行うべきは脳をそのように欺くことではないか。