食料自給率を上げるべきか(暫定版)

中国餃子問題の影響か、にわかに食料自給率を上げるべきだという議論が再燃しているようです。

端的に言って自給率が上げられるならば、それに越したことはありません。問題はその方法論です。国土の狭さ(農業に適した土地が少ない)もさることながら、小規模な個人農家を中心とした非効率的な生産体制が自給率向上の障害となっていることはよく知られています(こういうと農家の皆さんに失礼かもしれませんが…)。

この非効率性を解決する一つの方法として農業の株式会社化が挙げられるでしょう。つまり、サラリーマンが農業に携わる仕組みを作るということですね。さすがにスーツを着て農作業はできませんけど。

但し、農家のサラリーマン化にも大きな問題があります。現代日本の農業は、上で述べた通り、個人農家が担っています。また誰も手を付けていないような農業に適した土地はほとんど残されていません。よって農業に携わる会社を作る場合、個人農家の土地を買い取らなければならないのです。いえ、問題は土地の買取にかかる費用ではありません。それは会社運営による利益によって理論上回収できます。では、土地買い取りに関する問題は何でしょうか。それは次のようなものです。

まず、一定の土地を複数の個人農家が所有しているとします。農業会社は効率的な大規模農業をするため、その土地を買い取ります。そうなると、その土地を所有していた農家の人々は生産手段を失ってしまいます。急速に都市化が進んでいる現代日本ですから、一部の人々は都市へ移り住むかもしれません。しかし、多くの農家は自分が生まれ育った土地に残ろうとするでしょう。そこには土地に対する情緒的な結び付きだけではなく、持ち家や人付き合いといった有形無形の財産が残されているからです。よって多くの農業関係者は、そのまま農業会社に就職し、もともと自分が所有していた土地を賃金労働者として耕すことになるでしょう。

これはどういうことでしょうか。つまり、土地を会社に手放した農家の人々は結果として、江戸時代の「小作農(土地を所有しない百姓=水呑百姓)」と似たような立場になってしまうのです。農業株式会社は、さながら現代の「地主」ということになるでしょう。もっとも農業会社は小作料を要求するどころか、社員に給与を支払って農地を耕させるわけですから、「地主」という表現が的確かどうかは疑問の余地はあります。

とはいえ、会社は利潤を追求しなければなりません。雇われた元農家たちは労働力に過ぎませんから、会社が経営が思わしくないときは調整(=解雇)されてしまう可能性があります。これは普通のサラリーマンたちと同じですね。自分の土地を耕す自作農であれば、少なくとも体が動く限りは働き続けることができます。サラリーマン農民になってしまえば、所詮は私企業の労働力ですからそうもいきません。解雇されたサラリーマン農民たちは土地を捨て、都市部に出稼ぎに行かざるを得ません。彼らの多くは都市の最貧困層を形成するでしょう。ちょうど現代中国の上海や深圳といった大都市(経済技術開発区)へ出稼ぎに来る農村出身の労働者のようなものです。

自分の土地を耕しているならば、たとえそれほどの収入がなくとも自分で生産した食料を食べたり、隣家と分け合ったりすることで食べていくことはできます。実際、現在でも山間部にある小さな村落では、このような牧歌的な相互扶助の仕組みがまだ生きています。原始的共産制とも言えますね。

しかし、農業会社の社員となって働いて得た食料は会社の生産物であり、勝手に食べたり分け合ったりするわけにはいきません。例えば工場の社員が出来上がった生産物(自動車やカメラなど)を勝手に持ち帰ったり、知人に分けたりしてはいけないことと同じです。

また、工場には一般的に様々な地域から数多くの労働者がやってきます。例えば派遣会社から送られてきた地方都市の若者や出稼ぎ外国人などです。特に莫大な法人税の獲得を狙う自治体により、土地が有り余っている過疎地に工場が誘致されると、工場の周辺部だけでは(若者を中心とした)労働力を調達できないため、全国から多くの労働者が召集されます。

農業会社の場合もこれと似たようなことが起きるでしょう。特に労務費用を抑えるため、人件費が安く済む外国人労働者を積極的に雇用するかもしれません。そうなれば、地元民による情緒的な結び付きによって維持されていた共同体に数多くの「部外者」が侵入することになります。牧歌的な共同体は崩壊するでしょう。この共同体の崩壊により、ますます地元の農民たちは慣れ親しんだ土地を手放さざるを得なくなります。

このように農業の会社化は、必ずしも農村部の人々自身には利益をもたらしません。誰も好き好んで生活を不安定にする道を選びませんよね。合理的に考えれば、彼らが農業会社に土地を明け渡すことはありません。つまり、農業の効率化を図るための株式会社化は現実的な方策ではないのです。

そうなると効率化のために出来ることは、個々の小規模農家に新しい農業技術(イノベーション)を積極的に受け入れてもらえるよう、啓蒙活動を行うことくらいしかできません。つまり、自発的な効率化の推進を期待するしかないのです。しかし、誰もタダでリスクを受け入れようとはしません。よって効率化推進のため、国は農家に補助金を支給しなければならないかもしれません。まさに本末転倒です(しかし農業関係者はこれを画策しています)。更に農業関係者の高齢化が著しいため、新技術や経営革新といった効率化が物理的に不可能な場合も多いでしょう。

結論

小規模な個人農家による生産体制は効率化に伴う障害の一例に過ぎません。しかし、このような点だけを論じるたけでも、日本の自給率向上(言い換えれば農業の効率化)が極めて困難であるとご理解頂けるでしょう。自給率向上のために不確実で複雑な施策を慎重に講じなければならないことを考えると、外国に食料依存した現状の方がよほど簡単で、効率的かつ安定した食料供給が可能なのではないかとも言えそうです。

食料供給の問題は、国内における生産効率を向上させるよりも、安心安全な食物を安定して国外から輸入する仕組みを整えるすることによって効果的に解決できます。安易な経済ナショナリズムに走ることは、問題を解決するどころか、より複雑にしてしまいかねないことに留意するべきです。