強制された信仰という虚構

少なくとも信仰に対して個人が責任を負う必要がないと考えているのは、世界でも日本列島に済む日本人とオーストロネシア諸島の住民くらいだ。現代において宗教とは選択である。そして選択とは自由の下で許される権利である。権利は責任を対価とする。

それが一般的に宗教の形で布教されるものでないにしろ、どんなものであれ信仰にまつわるものであるならば個人が責任を負うべきである。間違っても周囲の環境や個人的事情によって選択させられた信仰があるなどという妄想は抱かぬように。