言葉遣い・格差問題・分割統治

格差問題の要点は言葉遣いにある。例えば、「仕事が大変」という表現を考えてみよう。

一般的なオフィス労働者(サラリーマン)の「仕事が大変」という言葉は、「毎晩遅くまで働かされている。定時過ぎは当たり前。安月給。上司の小言も聞き飽きた。やりたくない・つまらない仕事をずっとやらされ続けている…」といったところだろう。

一方で、しばしば問題となる肉体労働系派遣社員にとっての「仕事が大変」は、「毎日労働基準法を余裕で越える時間働かされてる。給料を違法に搾取されてる。命の危険がある仕事を手薄い労働保障(防護マスクやメガネも含む)でやらされてる。明日仕事があるかどうか分からない…」といったところだろう。

「仕事が大変」と表現自体は同じである。だが、それを指すものは全く異なっている。このままでは意思疎通が不可能である。まずは、互いの言葉遣いがどれほど離れているのかを認識し合うところから始めなければならない。とはいえ、現実にはお互いが各々の言葉遣いで相手のことを推量し、批判し合っている。こうして格差問題の要点が僅かにズレる。僅かとはいえ、ズレは不毛な議論を招く。そして議論は不毛から始まり、不毛に終わる。結果的に漁夫の利を得るのは、彼らの上部に君臨する雇用者と、蚊帳の外にいる公務員だけだ。

ところで、かの大英帝国インド亜大陸を支配するにあたり次のような方策を採った。まず亜大陸に存在する各民族に対し、強烈な民族意識を植え付ける。それによって異なる民族同士に諍いのタネを撒いた。こうすることで、各民族は垣根を越えて一致団結できなくなる。だから、仮に被植民が帝国へ反旗を翻したとしても、大した脅威にはならない。各個に対処すれば済むからだ。また、民族紛争に夢中になっていけばいくほど、帝国に対する反感は忘れ去られていく。次第に薄れていき、ついには消える。こうして被植民による帝国への反抗を事実上不可能にしていたワケだ*1。所謂、分割統治(Divide et Impera)である。

西洋の諺によると、「争いは常に互いに対する誤解から始まる」ものらしい*2。だとすれば、恐らく格差問題は現代社会における争いのタネとなっているのだろう。社会における高い眺めを楽しむ人々にとって、こういった「蛮族」同士の諍いが何より都合の良い。労せずして自らの陣地を守れるからだ。つまり、分割統治の状況である。

僅かな言葉遣いの差から、連帯すべき者達同士に擦れ違いが起こり、結果として自然発生的な分割統治が成立する。己の利益を最大化しようとするあまり、むしろ不利益が最大化されるという逆説。格差問題は、そういった逆説が見られる典型的な例の一つである。

*1:とはいえ史実では、カンジーの例に見られるように、その被植民社会における富裕層が革命の知的指導者となって帝国に反旗を翻ることになる。知的階級ならば分割統治の罠にはかからないということか。

*2:原文は忘れた。