シュガー社員とハニー上司

シュガー社員って何?

シュガー社員の説明は、上のリンクに任せた。

若者は時代に自己主張を誘惑される

シュガー社員という概念自体は、要するに「俗流若者論」の一種に過ぎない。しかし、興味深いのは、この概念がそういったシュガー社員の扱いに困った上司たちの(とある三流社労士に対する)相談に端を発してるという点だ。

問題は、現代の若者たちはどんな状況においても自己主張する点にある。別に「ゆとり教育」が原因というワケではない。雇用が流動化し、常により良い条件の職場を検討するという働き方が常識的になったためである。

要するに会社は、既に擬似家族的な連帯で雇用者と労働者が結ばれた情緒的な環境ではない。雇用者は利潤を生むための道具として労働者を扱う。労働者は日銭を稼ぐための狩場として会社に向かう。契約を仲立ちにした関係だ。だから労働者は、職場に問題があると思えば、それを改善するよう素直に会社へ要求する。実際、いつ解雇されるか分からない職場において苦痛を耐え忍ぶ理由はあまりない。雇用者が「薄情」になった分、被雇用者も合わせて「薄情」になるのは道理であろう。

これは左翼的な労働者の権利云々といった話ではない。これはむしろ、雇用者と被雇用者の立場が(理論上)水平になりつつある現実に起因する現象だ。

つまり、「あらゆる個人が自己の利潤を最大化することだけを考える」という前提に立つ新自由主義的理想が現代日本で実現しつつある。新自由主義経済の下で恩恵を得ている雇用者達は、残念ながら労働者の「薄情さ」に文句を言える立場にない。若者が会社に期待するのは給与と好待遇のみであり、金銭的利益に結び付かない上司や同僚の評価など価値はないのだ。

そして現代日本において、その働き方は全く正しい。

自己主張を知らない中年、ハニー上司の誕生

一方、中年の方々は会社では頑なに自己主張をしてはいけないものと思い込んでいる。つまり、会社と被雇用者は情緒的な結び付き方、あえて誤解を招く言い方をすれば主従関係であるという考え方に立っている。確かにこれまでの日本型会社では、まるで封建制度のように、従者は主人に対する忠誠によって主人に従者の立場を「安堵」させることが可能であった。言い換えれば、部下は上司の命令に忠実に従ってさえいれば、とりあえず解雇や減給を避けられたのである。故に、部下が上司や会社に対して自己主張をするということは、この主従関係を崩し、組織としてを不安定なものにするとして避けられる。だから、中年労働者は自己主張することを知らない。

非常に残念な話だが、現代日本封建制は成立し得ない。新自由主義的な見解に立つ限り、世の中は永遠に下克上の戦国時代とならざるを得ないからだ。そう考えれば、自己の利益を最大化する上で雇用者に要求を突きつけるのは正しい判断であることが分かる。互いが妥協できなければ、一方は労働力を失い、もう一方は職を失う。それだけのことだ。

だが、そこで問題が起きる。中年労働者は自己主張を知らないが、若年労働者は自己主張する。中年労働者は相手から自己主張されるなど予想もしていないし、相手の自己主張をどのように扱って良いものか分からない。つまり、部下は自己主張をしないという甘いあま〜い(ハニーな)前提に立って職場にいるハニー上司の誕生である。

大体、要求というのは、まず常識を疑うような内容から始まるものである。自己主張というのは、ちょうど値引きを要求するのに似ている。まずはふざけたほど大幅な値引きを要求し、その値下げ幅を少しずつ下げていく。そうして相手が妥協できる水準を模索していくのだ。

だが、ハニー上司は部下に一切妥協してはならないと考える。自分がかつて会社に主従関係を要請されたように、若者社員にも主従関係を強制しようするからだ。とはいえ、若者は自己利益を最大化するために要求をためらわない。こうして北海道の悩める中年労働者たちが三流社労士にハニーな相談を持ちかけるワケだ。

無論、あまりにバカバカしい要求は呑むべきではない。しかし、大してリスクもコストもかからないような妥協で相手の生産性が向上すると期待できるのならば、そういった「手打ち」は十分考慮に値する。というのは、部下など単に会社の道具に過ぎないからだ。いかに効率よく働かせるかだけ考えば良い。しかし、情緒的な関係を追い求めるハニー上司達は、どうやら効率性よりも自らの精神的安定を優先してしまうらしい*1

結論としての俗流中年論

時代は大きく変わった。しかし、それで恩恵を被るのは会社組織の中でも特に高い方の枝で羽を休めている方達ばかり。若者たちは無論のこと、現場で働く中年労働者たちにとっても大きな精神的試練が下されているワケです。現実を否認し、過去の成功体験を繰り返そうとするハニー上司にならないためにも、理解し合えない連中と妥協する豪胆さと老獪さをいい加減学んでも良い頃です。

まったく、最近の中年は(略

余談・チョコレート会社

シュガー社員』のネタ本には、「繁忙期に残業すると、『なぜ残業させるのか』と親から電話がくる」のが常識のない若者の一例として紹介されている。しかし、むしろ常識がないのは「繁忙期に残業させる上司」と「それを問題視する著者」の方だ。

農家の若者たちが会社に行くのは、あくまで農家で食えない分を補うためである。要するに出稼ぎである。こういった若者たちが繁忙期に自分の家を手伝えないというのは、当の農家にとっては致命的な問題となり得る。大都市圏では非常識に聞こえるかもしれないが、農業が盛んな地域では、このような就業形態(出稼ぎ)を取る労働者たちが一定数存在する。むしろ常識なのだ。

こういった常識が存在するのだから、会社側は初めからそれを前提に雇用を調整する必要がある。つまり、繁忙期には残業させない代わりに基本給を下げるとか、査定を低めに抑えるとか、繁忙期の残業に文句を言わせない契約を事前に交わしておくとか、初めから農家の出稼ぎ労働者は雇わないといった対策である。

要するに、農業が盛んな地域では「繁忙期に残業させると『なぜ残業させるのか』と親から抗議される」のは当たり前。「農家の出稼ぎ労働者には繁忙期に残業させない」というのが慣行だからだ。この慣行を許容しないというならば、それでも良い。しかし、現実としてそういった就業形態を取る労働者が存在する以上、あらかじめ対策を行うのが会社側の「常識」と言える。

つまり、シュガー社員、ハニー上司に続いて、この程度の常識も知らないチョコレート会社とキャンディー社労士の誕生である。もう何でもありだ。

*1:中年労働者のために補足しておく。彼らは「職場に精神的安定を求めることが自己利益を最大化する時代」を生きてきた。故に、彼らにとっては経済効率性よりも情緒的安寧を追い求めるのが自然な行為なのである。