ピーターの法則が見落としているもの

人は能力の限界まで出世し、その組織内で無能の水準にまで達する。所謂、「ピーターの法則」と呼ばれるものだ。元はピーター教授の持ちネタ(知的ジョーク)以上の理論ではなかったのだという。しかし、その翻訳版がダイヤモンド社という経済関係では比較的マトモな出版社で出されてしまったためなのか、日本では所謂「閉塞した日本型会社構造」を批判するときの根拠として使われることがしばしば見受けられる。

問題は「ピーターの法則」の理論的背景にある。この法則によれば、会社構造においては上級の役職に昇っていけばいくほど、求められる能力が高くなっていくのだという。だから、最下位に位置する平社員が最も楽で簡単な仕事であり、最上位に位置する社長(あるいはCEO)が最も難しい仕事だということになる。ここら辺の現状認識に問題がある。

まず第一に、下位の役職だからといって必ずしもその上位の役職よりも簡単だとは言えないということ。第二に、各役職によって求められる能力が異なること。第三に、年功序列による昇進という最も日本的な点を忘れている(というか、アメリカ生まれの法則なので考慮されていない)こと。以上の3つが「ピーターの法則」において見逃れている点だ。

例えば、課長と次長、部長といった役職の難易度というのは階級順に難易度が高低するだろうか。大抵はその会社や部署の状況によるだろう。あるいは、現場では役に立たなかった人間が部下を指導する立場になったら役に立ったということは十分にあり得る話だ。プロ野球を代表とするスポーツの世界では良く見られる現象である。まさに実力主義一徹のスポーツ界においても「ピーターの法則」は適用できない。

更に言えば、旧態依然とした日本的な企業では能力如何によって出世するというわけではない。だから、無能か有能かなどと関係なく時間が経てば出世するのであり、「ピーターの法則」が唱えるところの「無能の水準」に達することなく定年を終えることになる。あるいは「いつ無能になったのか」を知らないまま定年を迎える。一応、「窓際族」という現象がある意味で無能の体現しているのかもしれない。しかし、窓際族が世界基準を作った VHS のような例もあるワケで、何がどこでどのようになれば無能なのかという判断は難しい。

要するに、欧米を中心として国際化した世界では、ジョークはあくまでジョークとして受け取る能力が求められている。教養の一部である。だが、どうやら多くの(あるいは一部の)日本人は、ジョークを日本語の「冗談」と同じ意味だと思い込んでいるようだ。その誤解はいつか大きな悲劇が引き起こすことになるに違いない。それはそれで良い。どちらにしろ本当に無能な連中はジョークを解する知能も有していないだろうから。